白痴 (1951年の映画) スタッフ

白痴 (1951年の映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/07 21:32 UTC 版)

スタッフ

製作

脚本は黒澤明久板栄二郎の共同執筆で、熱海の旅館で1ヶ月近くかけて執筆作業を行った[2]。製作は松竹大船撮影所で行われ、助監督に中平康野村芳太郎などが付いた。野村は最終的に黒澤からシーンの可否の判断まで求められるようになり、黒澤は「大船に過ぎたるものふたつ。(編集の)杉原よ志に野村芳太郎」と語ったという[3]1950年12月初旬に撮影準備を開始し、翌1951年2月12日に北海道ロケーションで撮影開始した[4]。3月10日過ぎまで札幌市でロケを行い、3月20日頃から松竹大船撮影所でセット撮影を行ったあと、5月中旬に撮影終了した[4]

公開

黒澤が完成させた当初は、上映時間が4時間25分もあり、前後編2部作になる予定だった[5]。しかし、松竹副社長の城戸四郎は試写を見たあとに撮影所長を叱りつけ、興行的に不利だとして短縮を命じた[5]。プロデューサーの小出孝は、これを黒澤に伝えることができず、自分の責任でカットすることも検討したというが、結局野村が黒澤に伝えた[3]。黒澤は渋々3時間2分に再編集したが、さらに短縮するよう要求された。激怒した黒澤は、山本嘉次郎宛ての手紙に「こんな切り方をする位だったら、フィルムを縦に切ってくれたらいい」と訴えたという[6]。この3時間2分版は、1951年5月23日から東京劇場で3日間だけ上映された[5][1]。しかし、同年6月1日に一般公開されたのは、松竹が再々編集した2時間46分版で、オリジナル版は現存していないとされている[5][1]

その他

  • 中島公園の氷上カーニバルをはじめ、現在は失われた昭和20年代の札幌市の文化・風俗が記録されている貴重な映像資料でもある。
  • 黒澤はある時期に、本作が「おれの中でいちばん好きだよ」と淀川長治に告げている[7]

  1. ^ a b c d 浜野保樹「黒澤明 関連年表」『大系黒澤明』第4巻、講談社、2009年4月、811-812頁、ISBN 9784062155786 
  2. ^ 久板栄二郎「新劇ぎらい…思想を鼻にかけるのも大きらい」『キネマ旬報セレクション 黒澤明』、キネマ旬報社、2010年4月、103-107頁、ISBN 9784873763293 
  3. ^ a b 阿部嘉典『「映画を愛した二人」黒澤明 三船敏郎』報知新聞社、1996年1月、72-75頁。ISBN 9784831901125 
  4. ^ a b 「製作メモランダ」『全集黒澤明』第3巻、岩波書店、1988年1月、369頁、ISBN 9784000913232 
  5. ^ a b c d 浜野保樹「解説・黒澤明の形成―『白痴』」『大系黒澤明』第1巻、講談社、2009年10月、711-712頁、ISBN 9784062155755 
  6. ^ 黒澤明研究会 編『黒澤明を語る人々』朝日ソノラマ、2004年9月、26頁。ISBN 9784257037033 
  7. ^ 『淀川長治映画塾』講談社〈講談社文庫〉、1995年2月、592頁。ISBN 9784061858954 


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