田万清臣 田万清臣の概要

田万清臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 09:43 UTC 版)

田万清臣

経歴

香川県に生まれる[1][2][3]1919年大正8年)京都帝国大学独法科を卒業する[2]。大学では弁論部初代部長を務め、河上肇に傾倒した[1]

卒業後、弁護士を開業し労働運動に参加[1]大阪市会議員、同参事会員、同学務委員、借地借家調停委員、大日本興亜同盟理事を歴任した[2]1936年(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙では大阪府第1区から社会大衆党所属で出馬し当選[2]。つづく第20回第21回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算3期務めた[2]。戦時下、大政翼賛会大阪府支部常務委員、同会政調厚生委員などを歴任した[3]

戦後、公職追放となった[4]。その後、日本社会党大阪府連委員長などを務めた[1]。1952年(昭和27年)10月の第25回総選挙から1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙まで大阪府第1区から連続4回立候補したが、いずれも落選した[5]

脚注

参考文献


  1. ^ a b c d e f 上田ほか 2001, 1200頁.
  2. ^ a b c d e 衆議院、参議院 1962, 281頁.
  3. ^ a b 議会新聞社 1943, 235頁.
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、643頁。公職追放の該当事項は「推薦議員」。
  5. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』254-255頁。


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