産着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/03 04:52 UTC 版)
晴れ着
宮参り着では、男子は生後31-32日、女子は33日目に、その土地の氏神を訪れる[1]。正式には色も決まった形式がある[1]。
宮参り着の背守りは、守縫(もりぬい)と言い、12か月を象徴して縫い、男子は陰の針目、女子は陽で縫う[7]。縦に7針、斜めに5針、斜め部分は男児は左斜めに女児は右斜めに縫う[7]。端は、束にして輪にし垂らしたままにする[7]。三重県松阪市では垂らす糸が長いほど長寿になると伝承されてきた[8]。
麻の葉文様
産着は麻の葉文様で作る習慣が昔からあり、江戸時代から用いられてきた図柄である[1]。麻は、丈夫でまっすぐ生育し、虫が寄り付かない特徴があることからこれにあやかったものである[1]。
背守り
背守りは着物の背中につける飾りで「背紋飾り」とも言い、正装にも普段着にもつける[7]。大人の紋付では背紋をつける場所に、刺しゅうや小型のぬいぐるみ飾りをつける[7]。
背のない着物から魔が差すと言い伝えられてきた[7]。兵庫県姫路市城南の伝承ではこれである[8]。着物の背中の縫い目は「目」であり、魔物を睨んで退散させるとされた[9]。3歳くらいまで着る一つ身の着物には背縫いがないため、背守りをつける。赤色には呪術的な意味があるとの伝承もあったため、赤い糸での縫い取りや赤い布の端切れが使われることもあった[9]。一つ身よりも年長用の三つ身や四つ身など、背に縫い目がある着物には背守りはつけない[7]。
城南の地方ではモンカザリとか、モリヌイと呼ぶ[8]。沖縄ではマブヤーウー(魂護)と言い、赤糸の束や四角い布切れを縫い付けた[4]。
あるいは虫よけである[4]。
また背守りがあると子供が溺れた時など危機に陥った時に、荒神や産神が引っ張り上げてくれると信じられてきた[1]。三重県松阪市の伝承はこれである[8]。三重県松阪市ではセジルシ[8]。
背守りは一般に幾何学的な紋で、ぬいぐるみ形(お守りの意味[4])は昭和時代後半には珍しいものとなった[7]。または、巾着に米や豆を入れた[8]。
鎌倉時代の『春日権現験記絵巻』には背守りをつけた子供が書かれているとされる[4]。1670-1690年代の色絵碁盤童子置物(いろえごばんどうじおきもの)には、柏の葉のような模様の袋が縫い付けてある[4]。明治時代には学校教育で背守りの縫い方が教えられ、明治後期には呪術的な部分が離れ、手芸技術の向上という側面が強くなってくる[6]。真成寺の百徳着物では、昭和時代には背守りのないものが見られるようになる[6]。
また、染色作家の鳴海友子は古い子供の着物を収集しており、当時の実物が集まっている[10]。
- ^ a b c d e f g h i j 服装大百科事典 1986, 上・産着.
- ^ a b c d e 日本民俗大辞典 1999, 上・産着.
- ^ 佐久市志編纂委員会編纂『佐久市志 民俗編 上』佐久市志刊行会、1990年、707 - 708ページ。
- ^ a b c d e f g h i 背守り 2014, 背守り、端縫い考(佐治ゆかり).
- ^ 真成寺 公式HP
- ^ a b c d 背守り 2014, 産着に託された願い(夫馬佳代子).
- ^ a b c d e f g h 服装大百科事典 1986, 上・背守り.
- ^ a b c d e f 日本民俗大辞典 1999, 上・背守り.
- ^ a b 小泉和子編『昭和のキモノ』河出書房新社〈らんぷの本〉、2006年5月30日。ISBN 9784309727523。
- ^ 背守り 2014.
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