狛近真 狛近真の概要

狛近真

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 10:01 UTC 版)

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狛則房の養子となって笛を学び、母からは外祖父狛光季の秘曲を伝承され、光近流と則近流、狛家の二つの流派を会得して集成させた。さらに清原為則と大神是光からは伎楽を、狛光芳より三鼓を伝授される。1233年(天福元年)長年培ってきた技の精髄を纏めた書物「教訓抄」を著し、後世の雅楽の模範となった。「舞曲の父、伶楽の母」と畏怖され、なかんずく陵王の舞は卓越していたと伝えられ、1217年(建保5年)正月12日の寅の刻に興福寺の範顕寺主が見た夢に春日の神が複数現れ、狛近真に神前で陵王の舞を舞わせるよう取りはからうことを命じ[1]、後に「春日験記絵」と「地蔵菩薩霊験記絵」、それに近真自身の「教訓抄」[2]に記録されるほどであった。

脚注

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参考文献


  1. ^ 厳密には近真に家伝の桴がないため舞えない、ということで範顕寺主に桴の製作を行わせ、それを近真に与えることで陵王の舞を舞わせよう、というのがこの命令の趣旨であった。この神命を受けた範顕寺主は興福寺の禅定院にあった桴を借り出して複製、錦の袋に納め、この神託の夢を記録した日記と合わせて近真に贈ったとされる。
  2. ^ 「桴の間、大明神託宣、家の為、道の為、尤も勝事なり。然者当曲に於いては、神明三宝守護御座しむる者なり」と記載されており、近真自身、この夢による神託に感激していたことが見て取れる。


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木造伎楽面重要文化財。奈良時代。木造伎楽面29面と乾漆伎楽面1面の計30面が重要文化財に指定され、木造伎楽面残欠5片と乾漆伎楽面残欠7片が附指定となっている。伎楽は推古天皇20年に百済人の味摩之が日本へ伝えたとされる仮面舞踏劇である。天平勝宝4年の東大寺大仏開眼会でも伎楽が演じられ、その時に使用した伎楽面が正倉院と東大寺とに残っている。正倉院に残る伎楽面は171面であり、東大寺所蔵の伎楽面30面と断片7面分も正倉院所蔵分と一連のものである。前述のように、30面のうちの1面と断片のうち4面分のみが乾漆造で他はすべて木造である。伎楽のストーリーについて正確なことはわかっていないが、狛近真の『教訓抄』という書物によると、恐ろしい顔をした「崑崙」が「呉女」という美女に懸想して卑猥なふるまいをするが、「力士」にこらしめられる、という滑稽なストーリーであったと推定される。『西大寺資財帳』によると、使用される面は治道、師子、師子児、呉公、金剛、迦楼羅、崑崙、呉女、力士、波羅門、太孤父、太孤児、酔胡王、酔胡従の14種類、23面であった。これら14種類の面の名称が、現存する伎楽面のどれに該当するのかについては、昭和戦前期から研究が積み重ねられてきたが、一部の面については名称に混乱が生じており、『奈良六大寺大観 東大寺二』の解説は、東大寺所蔵の30面がそれぞれいずれの面種に該当するかの特定を避けている。成瀬正和の分類によれば、30面の内訳は、治道1面、童子の面5面、呉公1面、金剛1面、迦楼羅1面、崑崙4面、力士2面、波羅門3面、太孤父4面、酔胡王1面、酔胡従7面となっている。30面の中には面裏に天平勝宝4年の年紀や面の作者名を墨書するものもあり、作者としては捨目師、基永師、延均師、相李魚成の4名の名が判明している。木造伎楽面
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