正親町季董 正親町季董の概要

正親町季董

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/08 09:38 UTC 版)

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経歴

1889年(明治22年)5月6日、正親町伯爵家分家を起こし、父の勲功により男爵を叙爵した[3][4]東京帝国大学法科大学政治科卒業、司法大臣秘書官を務めた。華族廃止論を唱えた。のち山下汽船会社顧問[5]1919年大正8年)11月22日に隠居し、1920年(大正9年)2月3日に分家した[3]。家督は嗣子・季光が継承し、1919年12月20日に男爵を襲爵した[3][6]

河上肇『小国寡民』によると、コーカサス地方の紀行文があるという。「コーカサス軍道の風光の雄大秀麗は、あまねく日本内地を周遊した筆者も、その比を求むるに苦しむ」。

参考文献


日本の爵位
先代:
叙爵
男爵
正親町家(分家)初代
1889年 - 1919年
次代:
正親町季光

  1. ^ 華族名簿. 大正6年3月31日調
  2. ^ 菊地昌典『ロシア革命と日本人』(筑摩書房、1973年)
  3. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成』上巻、275頁。
  4. ^ 『官報』第1753号、明治22年5月7日。
  5. ^ 華族廃止論者の正親町男が隠居万朝報」1919年(大正8年)10月8日
  6. ^ 『官報』第2216号、大正8年12月22日。


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