柴田直人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 01:40 UTC 版)
来歴
- 1970代、野球少年だった柴田少年が姉からもらったフォークギターで色々コピーしていたところ、知り合いから『ディープ・パープル』のアルバムを聴かせてもらったことがきっかけでベースに転向する。
- 1970年代後半、コピーバンドを経てプログレッシブ・ロックバンド『ブラック・ホール』に加入。
- 1981年に『ANTHEM』を結成。1985年にメジャーデビュー。
- 1992年、『ANTHEM』解散。解散後はソングライターやアレンジャーとして『ビーイング』での作曲活動やゲーム音楽のアレンジ、プロレスラーの入場テーマ曲等を手がける。
- 1993年、『TWINZER』のアルバム「OH SHINY DAYS」の収録曲「LET ME TRY AGAIN」を作曲。
- 1994年、『SLY』に加入するも短期間で脱退、年末に『LOUDNESS』に加入。
- 1998年、コージー・パウエルのトリビュートアルバム「REST IN PEACE」リリース。
- 1999年、ソロアルバム「STAND PROUD! II」をリリース(カバーアルバム)。
- 2000年、高崎晃がLOUDNESSを第一期オリジナルメンバーでの復活を宣言。これに伴い脱退。
- 2001年、『ANTHEM』再結成。
- 2013年、前年12月に行った定期健診で胃癌を発見。早期発見の為1月末に手術を行い、5月の「Ozzfest JAPAN 2013」で復帰した[2]。
影響を受けたベーシスト
グレン・ヒューズ、ジョン・ウェットン、グレッグ・レイク、マーティン・ターナー(ウィッシュボーン・アッシュ)等の1970年代のブリティッシュロック系ミュージシャンの名を挙げている。
主な使用機材およびエンドース
エレクトリックベース(エンドース)
- ESP: 柴田直人モデル
- G&L: ASAT BASS(オリジナルカスタムモデル)(1994 - 2007)
- シェクター: AC-ANB 柴田直人シグネイチャーPROTOモデル (2007〜) ※2010年からピックアップをSPB-3に、ナットをブラスに(アルダーボディのみ)変更。
弦
- D'ADDARIO:(不明)
- ロトサウンド
アンプ(ヒュースアンドケトナーのみエンドース)
- ハイワット
- グヤトーン
- ピーヴィー
- ヒュースアンドケトナー: QUANTUM QT-600+QS410PRO+QS810PRO
- マークベース
エフェクター
- カール・マーティン: HOT DRIVE'N BOOST mk3
- ヒュースアンドケトナー: TUBE FACTOR
- BOSS: OD-3
- ヒュースアンドケトナー: REPLEX
- ロックトロン: INTELLIFEX
- KORG: MPK-130 + EX-8000
- トーンワークス: DTR-1
- AXESS ELECRONICS: MFC5
ケーブル
- ^ ANTHEM Bible(2005年 ドレミ楽譜出版社)13p
- ^ ANTHEM、柴田直人に胃がん発見でツアー延期
- ^ ARTIST 柴田直人 LINE 6 Japan 2016年11月17日閲覧
- ^ 2018年6月9日、川崎クラブチッタで行なわれたイベント『METAL MAN RISING』を映像化したライブDVD & Blu-ray。柴田以外に、ANTHEM現メンバー全員、初代Vo.の前田“トニー”敏仁、二代目Vo.の坂本英三、柴田がANTHEM結成以前に参加していたBLACK HOLEの定リオ(Vo.)、荻野光生(Dr.)、LOUDNESSの高崎 晃(G.)が出演。
- ^ “ANTHEMのリーダー柴田直人のキャリアを振り返る一夜限りのスペシャル・ライヴ、遂に映像化!”. WARD RECORDS. 2018年9月26日閲覧。
固有名詞の分類
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