本間勲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/29 09:11 UTC 版)
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名前 | ||||||
愛称 | ミスターアルビレックス | |||||
カタカナ | ホンマ イサオ | |||||
ラテン文字 | HOMMA Isao | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1981年4月19日(41歳) | |||||
出身地 | 新潟県北蒲原郡中条町 | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右 | |||||
ユース | ||||||
習志野高校 | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2000-2014 | アルビレックス新潟 | 312 | (13) | |||
2014-2016 | 栃木SC | 76 | (2) | |||
2017 | アルビレックス新潟 | 4 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年1月15日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
2000年のプロデビューから2014年までの15年間、アルビレックス新潟でプレーし、チームの象徴として「ミスターアルビレックス」と呼ばれた。2014年シーズン途中から栃木SCへ移籍し、2017年に新潟に復帰。同年限りで現役を引退した。
来歴
8歳からサッカーを始め、地元の中条サッカースポーツ少年団に入団。胎内市立中条中学校を経て、千葉県の習志野高校へ入学後は1998年に千葉県大会で優勝し、第77回全国高等学校サッカー選手権大会に出場している。県大会では後にチームメイトとなる市立船橋高校の黒河貴矢にPKを止められたこともあった。
アルビレックス新潟
高校卒業後、アルビレックス新潟に入団。加入当初は右サイドを主戦場とする攻撃的ミッドフィールダーで、ルーキーイヤーは29試合に出場して3得点を記録した。2000年5月2日の水戸ホーリーホック戦で初出場、3日後に行われた湘南ベルマーレ戦で初得点を記録した。2年目から徐々に出番を減らし、当時の反町康治監督のチーム編成などの事情ももあり、守備的なポジションであるボランチにコンバートされる。2002年に3カ月の短期ブラジル留学を経験。留学期間はFIFAワールドカップの開催時期で、本人はあまり乗り気ではなかった[1]。
新潟は2004年にJ1へ昇格し、本間は2005年にレギュラーポジションを獲得した。全国的にはまだ無名だったが、2006年のシーズン途中に鹿島アントラーズから新潟に移籍してきた内田潤は新潟戦前のミーティングで鹿島監督のトニーニョ・セレーゾが「とにかくこいつを止めろ」と強調していたため移籍前から本間のことを知っていたと話している[2]。
2007年からゲームキャプテンになり、2008年には中盤の要、司令塔と呼ばれる存在になった[3]。同年7月に第一子が誕生[4]。2009年は当時監督の鈴木淳が構築した4-3-3システムの1ボランチとして、中盤の底で存在感を見せた。京都サンガ監督(当時)の加藤久は、攻撃的なチームの中にあって「ディフェンダーの前で上手くスペースを消している」と、本間の守備面に評価を与えた[5]。
翌2010年から正式にチームキャプテンとなり、北野貴之の移籍に伴いJ2時代を経験したメンバーは本間ただ一人となった。本間の新潟出身の生え抜きという経歴もあり、メディアでは「ミスター・アルビレックス」と紹介されるようになった。本間は監督が黒崎久志、柳下正明に変わった後もポジションを守り、2011年にはJ1リーグ戦全試合に出場した。2011年9月24日、J1第27節ジュビロ磐田戦にてスタメン出場し、J1通算200試合出場を達成。2012年にはJリーグ通算300試合出場に到達した。
栃木SC
2013年以降は新加入のレオ・シルバや小林裕紀にポジションを奪われ、出場機会を求めて2014年8月より半年間の期限付きでJ2栃木SCへ移籍[6]。シーズン終了後の2015年1月5日には栃木への完全移籍が発表され、本間は高校卒業後の15年を過ごした新潟を離れた[7]。
新潟復帰
2017年よりアルビレックス新潟へ移籍。2017年11月25日、現役引退が発表された。12月2日、2017年シーズン最後のリーグ戦・第34節のセレッソ大阪戦に途中交代で出場しJリーグでの現役生活を終えた[8]。
引退後
現役引退後の2018年から2020年11月まで新潟のサッカースクールコーチを務め[9]、2020年7月から11月までアカデミー部門スカウトを兼任した[10]。
2020年11月から強化部長に就任した寺川能人の後任として、強化部門スカウト担当に就任した[11]。
所属クラブ
- ユース経歴
- 中条サッカースポーツ少年団
- 1994年 - 1996年 胎内市立中条中学校
- 1997年 - 1999年 習志野市立習志野高等学校
- プロ経歴
- ^ 本間勲の実の息子
- ^ 2012年4月26日 モーニング21号 講談社
- ^ サッカーマガジン 2009年11月17日号 サカピポ
- ^ 【開幕直前!33クラブ別戦力分析レポート:新潟】目標は5位以内。チーム内の競争が「アグレッシブ」の質を高める。 [ J's GOAL ](08.02.28)
- ^ 【年末企画:2008年各クラブ5大ニュース!】アルビレックス新潟編
- ^ 武田賢宗 【J1:第5節 京都 vs 新潟】プレビュー:首位・新潟を西京極で迎え撃つ! 爆発力ある攻撃で新潟の守備を突き崩すか注目の一戦! [ J's GOAL ](09.04.10)
- ^ 本間勲選手 期限付き移籍加入のお知らせ 栃木SC公式サイト 2014年8月12日
- ^ 本間 勲選手 栃木SCに完全移籍のお知らせ - アルビレックス新潟 2015年1月5日
- ^ 新潟4連勝締め、引退の本間の願い「1年でJ1に」- 日刊スポーツ 2017年12月3日
- ^ 本間 勲 氏 サッカースクールコーチに就任のお知らせ アルビレックス新潟 2018年1月12日
- ^ “本間 勲 アルビレックス新潟サッカースクールコーチ アカデミー部門 スカウト就任のお知らせ” (プレスリリース), アルビレックス新潟, (2020年7月2日) 2020年7月2日閲覧。
- ^ “本間 勲 アルビレックス新潟サッカースクールコーチ兼アカデミー部門スカウト 強化部スカウト担当に就任のお知らせ” (プレスリリース), アルビレックス新潟, (2020年11月18日) 2021年2月11日閲覧。
固有名詞の分類
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