巨勢清野
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/24 21:04 UTC 版)
経歴
弘仁3年(812年)従五位下・右兵衛佐に叙任され、弘仁5年(814年)右衛門佐に転じる。弘仁7年12月(817年1月)に父と想定される中納言・巨勢野足が没して以降、嵯峨朝では清野の叙位任官の記録がない。
天長2年(825年)13年ぶりに昇叙され従五位上になると、天長5年(828年)正五位下、天長6年(829年)正五位上と淳和朝では順調に昇進している。
官歴
『日本後紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 弘仁3年(812年) 正月7日:従五位下。正月12日:右兵衛佐
- 弘仁5年(814年) 7月1日:右衛門佐
- 天長2年(825年) 正月4日:従五位上
- 天長5年(828年) 正月7日:正五位下
- 天長6年(829年) 正月7日:正五位上
脚注
参考文献
- 1 巨勢清野とは
- 2 巨勢清野の概要
- 巨勢清野のページへのリンク