屋部村
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やぶそん 屋部村 | |
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廃止日 | 1970年8月1日 |
廃止理由 |
新設合併 屋部村・名護町・久志村・羽地村・屋我地村→名護市 |
現在の自治体 | 名護市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方、沖縄地方 |
都道府県 | 沖縄県 |
郡 | 国頭郡 |
市町村コード | 47309-0 |
隣接自治体 | 名護町、羽地村、本部町、今帰仁村 |
屋部村役場 | |
所在地 |
〒905-0007 沖縄県名護市字屋部44 |
外部リンク | 名護市地域経済部屋部支所 |
座標 | 北緯26度36分01秒 東経127度57分08秒 / 北緯26.60036度 東経127.95217度座標: 北緯26度36分01秒 東経127度57分08秒 / 北緯26.60036度 東経127.95217度 |
特記事項 |
施行・廃止当時いずれも琉球政府(アメリカ軍施政権下) 村役場のデータは現在の名護市屋部支所のもの |
ウィキプロジェクト |
現在は屋部地域(屋部支所管内)として名護市の一部に位置づけられている。
1946年に当時の名護町から分離し誕生、1970年に名護町・羽地村・久志村・屋我地村と合併し名護市となり消滅。村役所は字屋部に置かれた。
沿革
この地域はもともと名護間切、1908年の島嶼町村制施行で名護村、1924年に名護町の一部だったが、多くが犠牲になった沖縄戦の戦後復興をいち早く進めるため、1946年5月20日に名護町から分離、屋部村が誕生した。
主な産業は農業だが、西部の山入端・安和が採石場だったためセメント工場が何ヶ所か設置された。
沖縄本島北部の中核としての機能を強化するため、1970年8月1日に名護町・羽地村・久志村・屋我地村と合併、名護市となり消滅した。村役所は名護市屋部支所となったが、今後村役所時代からの庁舎を建て替え「屋部地区センター」として生まれ変わる予定[1]。
地域
- 旭川(あさひかわ)
- 安和(あわ)
- 宇茂佐(うむさ)
- 宇茂佐の森(うむさのもり) 2011年に宇茂佐から分離(1〜5丁目までついてるが正式な住居表示はしていない)
- 勝山(かつやま)
- 中山(なかやま)
- 屋部(やぶ)
- 山入端(やまのは)
- 1 屋部村とは
- 2 屋部村の概要
- 3 隣接していた町村
- 4 関連項目
固有名詞の分類
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