屋部村 屋部村の概要

屋部村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/01 03:05 UTC 版)

やぶそん
屋部村
廃止日 1970年8月1日
廃止理由 新設合併
屋部村・名護町久志村羽地村屋我地村名護市
現在の自治体 名護市
廃止時点のデータ
日本
地方 九州地方沖縄地方
都道府県 沖縄県
国頭郡
市町村コード 47309-0
隣接自治体 名護町羽地村本部町今帰仁村
屋部村役場
所在地 905-0007
沖縄県名護市字屋部44
外部リンク 名護市地域経済部屋部支所
座標 北緯26度36分01秒 東経127度57分08秒 / 北緯26.60036度 東経127.95217度 / 26.60036; 127.95217座標: 北緯26度36分01秒 東経127度57分08秒 / 北緯26.60036度 東経127.95217度 / 26.60036; 127.95217
特記事項 施行・廃止当時いずれも琉球政府アメリカ軍施政権下)
村役場のデータは現在の名護市屋部支所のもの
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現在は屋部地域(屋部支所管内)として名護市の一部に位置づけられている。

1946年に当時の名護町から分離し誕生、1970年に名護町・羽地村久志村屋我地村と合併し名護市となり消滅。村役所は字屋部に置かれた。

沿革

この地域はもともと名護間切、1908年の島嶼町村制施行で名護村、1924年に名護町の一部だったが、多くが犠牲になった沖縄戦の戦後復興をいち早く進めるため、1946年5月20日に名護町から分離、屋部村が誕生した。

主な産業は農業だが、西部の山入端・安和が採石場だったためセメント工場が何ヶ所か設置された。

沖縄本島北部の中核としての機能を強化するため、1970年8月1日に名護町・羽地村・久志村・屋我地村と合併、名護市となり消滅した。村役所は名護市屋部支所となったが、今後村役所時代からの庁舎を建て替え「屋部地区センター」として生まれ変わる予定[1]

地域

  • 旭川(あさひかわ)
  • 安和(あわ)
  • 宇茂佐(うむさ) 
  • 宇茂佐の森(うむさのもり) 2011年に宇茂佐から分離(1〜5丁目までついてるが正式な住居表示はしていない)
  • 勝山(かつやま)
  • 中山(なかやま)
  • 屋部(やぶ)
  • 山入端(やまのは)

  1. ^ 「屋部地区センターの整備について」名護市屋部支所(2020年5月1日)
  2. ^ 案内標識の名護市街方面の行き先表示も国道449号は遠いところでは「那覇」が表示されるが(ただし本部町区間は「那覇」ではなく「恩納」に変えている)、県道84号は2000年代に本部町区間から「那覇」の表示を取りやめ「東江」「宮里」などの名護市内に変えている。


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