和田野 地理

和田野

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/15 04:38 UTC 版)

地理

丹後半島を北流する竹野川の西岸に位置し、竹野川沿いには水田が広がっている[2]。竹野川には灌漑のための複数の井堰があるが、和田野橋の上流約1キロメートル地点にある和田野井堰はそのうち最大のものである[3][4]。背後の丘陵地には大田南古墳群など多数の古墳がある。

川上(南)から順にカミジ、ナカジ、シモジという村組に分かれている[2]。また、1組9戸〜12戸からなる18組の隣組があり、隣組に加えて京丹後市営住宅の住民による2組の住宅組がある[2]

弥栄町和田野(左)、竹野川(中央)、弥栄町溝谷(右)

竹野川の改修と和田野橋

1909年竣工の和田野橋
竹野川改修記念碑

和田野地区と溝谷地区を分ける竹野川は、川幅狭く屈曲した河川であったため、洪水の度に氾濫し住民は古くからずっと水害に悩み苦しんだ歴史がある[3]。弥栄平野はもともと湖沼が点在した湿地帯で、竹野川は洪水の都度その流路を変えていた[5]。和田野が「恒枝保(つねえだほ)」とよばれた時代には、隣接する集落に行くにも「七川八飛」といわれた道なき湿地帯を通る必要があり、これらの地域がほぼ耕地化されたのは室町時代の中期以降と推定されている[5]

1885年(明治18年)5月には「ハゲシロ水」と呼ばれる大洪水で大小13か所の水たまりが生じ、後々まで池や水堀として残ったほどだった。1896年(明治29年)8月にも洪水による被害が発生[6]。1907年(明治40年)9月の大洪水では、和田野橋上下流両岸の堤防が数百メートルにかけて破壊され、田畑、人家共に壊滅的な被害を受け同時に和田野橋も流失した。このような水禍を繰りかえさぬよう時の鳥取村村長、対岸の溝谷村村長が竹野川改修を京都府に陳情した結果、府知事および土木長の視察後すぐに工事着工に至る[7]。和田野橋も仮橋を経て、1909年(明治42年)に木製トラス構造の橋として再生した[8]

これを始まりとして竹野川改修は続き、1910年(明治43年)和田野橋下流600メートル余りを改修。しかし1912年(大正元年)9月には和田野橋下流で改修後の堤防が全壊、川幅を拡げて再改修を実施。翌1913年(大正2年)、竹野川改修記念碑を和田野橋畔に建立した[4]。さらに1916年(大正5年)に竹野川改修工事が起工するが[8]、1918年(大正7年)9月にも増水5メートルを記録した大洪水が発生し、和田野地区を始め、弥栄町内に甚大な被害を与えた[9]。以後、京都府は竹野川全面の改修計画をたて、逐次改修を進めていく。

1927年(昭和2年)の丹後大震災では、和田野橋が破壊され、1929年(昭和4年)に鉄筋コンクリート製の近代的な橋が竣工した[10]。長さ59.7メートル、幅4.6メートル[11]の新橋大工事には当時珍しい潜水夫が来たため見物人が後を絶たず、橋の竣工を祝った歌(弥栄町黒部出身、今井正視による作詞作曲)も作られ、住民は皆口ずさむなど大変な賑わいであった[12]。1931年(昭和6年)、住民念願の竹野川全面改修工事が完了[13]

和田野橋は弥栄町の政治、文化、経済の中心地を結ぶ要所にあったが、その後橋幅も狭く大型車のすれ違いも困難として、1983年(昭和58年)に新しい和田野橋が完成し現在も交通の要所である[8][14]


  1. ^ デジタルミュージアムK6大田南5号墳出土方格規矩四神鏡”. 京丹後市. 2022年10月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 京丹後市史編さん委員会『京丹後市の民俗』京丹後市役所、2014年、307-310頁。 
  3. ^ a b 『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、22頁。 
  4. ^ a b 『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、678頁。 
  5. ^ a b 萩原勉『区長さん奮戦記』関西書院、1996年、105頁。 
  6. ^ 萩原勉『弥栄・和田野 小字名の語源・考』萩原勉、1999年8月13日、30-31頁。 
  7. ^ 『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、699頁。 
  8. ^ a b c 『写真アルバム舞鶴・宮津・丹後の昭和』樹林舎、2021年、20頁。 
  9. ^ 『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、686頁。 
  10. ^ 『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、699-700頁。 
  11. ^ 『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、586頁。 
  12. ^ 『昭和ひとけたの頃』萩原勉、1982年3月25日、19-20頁。 
  13. ^ 『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、700頁。 
  14. ^ 『時を越えて 弥栄町の年』京都府弥栄町役場、1995年3月1日、62頁。 
  15. ^ a b 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、22頁。 
  16. ^ a b c d e 和田野区” (PDF). ふるさとわがまちわが地域. 2022年9月7日閲覧。
  17. ^ 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年。 
  18. ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府 上巻』角川書店、1982年、1508-1509頁。 
  19. ^ 『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年。 
  20. ^ 萩原勉『区長さん奮戦記』関西書院、1996年、30頁。 
  21. ^ a b c 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、27頁。 
  22. ^ a b 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、28頁。 
  23. ^ 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、29頁。 
  24. ^ a b c d 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、30頁。 
  25. ^ a b 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、31頁。 
  26. ^ a b c 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、33頁。 
  27. ^ 『保存版 舞鶴・宮津・丹後の今昔』郷土出版社、2004年、94頁。 
  28. ^ 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、34頁。 
  29. ^ 『映画便覧 1960』時事通信社、1960年
  30. ^ a b 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、37頁。 
  31. ^ 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、20頁。 
  32. ^ 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、28頁。 
  33. ^ a b 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、36頁。 
  34. ^ 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、34頁。 
  35. ^ 萩原勉『区長さん奮戦記』関西書院、1996年、120頁。 
  36. ^ a b 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、40頁。 
  37. ^ 『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、40頁。 
  38. ^ a b c d e f 『時を越えて 弥栄町の40年』京都府弥栄町、1995年、20頁。 
  39. ^ 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、97頁。 
  40. ^ 『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、97頁。 
  41. ^ 『時を越えて 弥栄町の40年』京都府弥栄町、1995年、63頁。 
  42. ^ 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、118頁。 
  43. ^ 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、48頁。 
  44. ^ 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、106頁。 
  45. ^ 『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、143頁。 
  46. ^ 『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、170頁。 
  47. ^ 2011年10月30日(前編)・11月6日(後編)放送 冬が怖い家”. 朝日放送. 2022年10月23日閲覧。
  48. ^ 安本宗春「地域内外における緩やかさを活かした関係構築 -京都府京丹後市弥栄町和田野区との大学連携-」『現代社会研究』第2021巻第19号、東洋大学現代社会総合研究所、2021年、137頁、doi:10.34375/gensoken.2021.19_129 
  49. ^ 「匠」が選ぶビフォーアフター大賞2011”. 朝日放送. 2022年10月23日閲覧。
  50. ^ 塩田敏夫 (2020年2月23日). “地域のにぎわい拠点に”. 毎日新聞社 京都 丹波・丹後版: p. 18 
  51. ^ a b 国営農地(5)弥栄町和田野団地 京丹後市
  52. ^ 『弥栄町の農業』京都農林統計協会、1999年、40頁。 
  53. ^ 弥栄町『弥栄のまさか』弥栄町、1997年、10頁。 
  54. ^ 日本遺産~300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊~ 京丹後市
  55. ^ 萩原勉『「恒枝保」考』萩原勉、1990年、32頁。 
  56. ^ a b c 弥栄町『弥栄のまさか』弥栄町、1997年、32頁。 
  57. ^ 会社概要”. ちりめん工芸館. 2022年10月22日閲覧。
  58. ^ 『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、181頁。 
  59. ^ 萩原勉『区長さん奮戦記』関西書院、1996年、37頁。 
  60. ^ a b 『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、70頁。 
  61. ^ a b 『時を越えて 弥栄町の40年』京都府弥栄町、1995年、62頁。 
  62. ^ 萩原勉『区長さん奮戦記』関西書院、1996年、124頁。 
  63. ^ 萩原勉『区長さん奮戦記』関西書院、1996年、125頁。 
  64. ^ a b c d e f g h 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、146-147頁。 
  65. ^ a b 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、148頁。 
  66. ^ 大田南二号墳出土品 京丹後市デジタルミュージアム
  67. ^ a b c d 弥栄町役場『新たなる旅立ち』弥栄町、2004年、152頁。 
  68. ^ 京丹後市教育委員会『京都府京丹後市 寺社建築物調査報告書 弥栄町』京丹後市教育委員会、2010年。 
  69. ^ 弥栄町役場『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、650-651頁。 
  70. ^ a b 『弥栄町史』弥栄町役場、1970年、672頁。 
  71. ^ 弥栄町役場『弥栄町史』竹野郡弥栄町、1970年、672頁。 
  72. ^ a b c 京丹後市史編さん委員会『京丹後市の自然環境』京丹後市役所、2015年、175頁。 





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