名古山霊苑 施設

名古山霊苑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 00:21 UTC 版)

施設

仏舎利塔

旧日本陸軍将兵の墓
無縁仏の墓石群

姫路仏舎利塔建設協会(1957年10月設立。会長は姫路市長)によって建設された高さ37メートルの仏舎利塔[2]である。1960年昭和35年)4月8日に落慶式が催された。設計は当時横浜国立大学教授であった大岡実[3]

1954年(昭和29年)4月13日インドネルー首相より贈与された仏舎利が収めてあり、内部は絢爛たる仏教美術が施された名所である。天蓋鳳凰が描かれており、その下に雲中観音、釈迦三尊と十大弟子の立像が並んでいる。仏像の痛みが激しかったため名古山霊苑協会が創立50周年に合わせ、2014年平成26年)春から仏像の修復が始まり2015年(平成27年)に再公開された[4]

姫路市は仏舎利塔建設に約1億3400万円の市費を投入したが、その決算書が公表されなかったため、日本共産党西播地区委員会のメンバーが市長の石見元秀を相手取り住民監査請求を行った。この監査は1964年12月に「市の行為は正当」とする監査結果を示したが、こうした動きを受けて姫路仏舎利塔建設協会は解散し仏舎利塔の全施設を姫路市に寄付し、管理運営は1965年3月に設立された任意団体の名古山霊苑協会に事業委託された。本件に示すような公共事業の拡大に伴う姫路市財政の悪化による責任を問われ、石見は1967年4月の市長選挙において落選することになる[5]

陸軍墓地

名古山には日清・日露戦争以降の戦没者を葬る陸軍墓地が存在したが、名古山霊園建設にあたって納骨堂を建設しここに陸海軍将兵の遺骨を移し墓碑は二基のピラミッド状に集約されている。第一次世界大戦時に捕虜となり兵庫県下で死去し、かつ遺骨が持ち帰られなかったオーストリア人2名・ハンガリー人1名の海軍兵士3名の墓も置かれている。

名誉えい地

姫路市名誉市民に叙された者のうち4名の墓が置かれている。


  1. ^ 姫路市の都市計画関係年表
  2. ^ 名古山霊苑(なごやまれいえん) 散策案内
  3. ^ 「姫路市史」p.371~372
  4. ^ “座像鮮やかに 仏像9体、50年ぶり修復 姫路”. 神戸新聞. (2015年1月1日). http://www.kobe-np.co.jp/news/himeji/201501/0007675611.shtml 
  5. ^ 「姫路市史」p.377~380
  6. ^ アクセス”. 名古山霊苑協会. 2023年12月30日閲覧。
  7. ^ ひょうごっ子ココロンカード兵庫県教育委員会
  8. ^ どんぐりカードの配付について姫路市
  9. ^ 高齢者福祉優待カードの交付姫路市
  10. ^ 姫路市役所教育委員会事務局生涯学習部文化財課. “名古山弥生式住居跡”. 姫路市. 2022年10月11日閲覧。


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