佐藤有香 佐藤有香の概要

佐藤有香

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/11 09:30 UTC 版)

佐藤 有香
Yuka SATO DUNGJEN
2011年の佐藤有香
選手情報
生年月日 (1973-02-14) 1973年2月14日(50歳)
代表国 日本
出生地 東京都
親族 佐藤信夫 (父)
佐藤久美子 (母)
身長 152 cm
学歴 戸板女子高等学校法政大学
元コーチ 佐藤信夫
佐藤久美子
ピーター・ダンフィールド
元振付師 佐藤久美子
練習拠点 Detroit Skating Club
引退 1994年
ISUサイト バイオグラフィ
獲得メダル
フィギュアスケート
国際スケート連盟主催大会 1 2 3
世界選手権 1 0 0
世界ジュニア選手権 1 0 0
合計数 2 0 0
国内大会 1 2 3
全日本選手権 2 2 2
世界選手権
1994 千葉 女子シングル
世界ジュニア選手権
1990 コロラドスプリングス 女子シングル
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学歴

戸板女子高等学校から法政大学法学部に進学したが中退。法政大学通信教育部法学部へ再入学し卒業。

経歴

父・信夫は1960年スコーバレーオリンピック1964年インスブルックオリンピックの男子シングル日本代表、母・久美子もインスブルックオリンピックと1968年グルノーブルオリンピック女子シングル日本代表というスケート一家に生まれた[1]。2歳半でスケートを始め、10歳の頃から父の信夫の指導を受け始める。それまでは他の生徒への指導が忙しかったため、1週間に5分間だけ新しい技を伝授する時間を作り、それを娘が1週間かけてマスターし、また新しい技を伝授して…という方法を繰り返していたという。その後「私にもきちんと教えて」と言い出したことから本格的に指導を受けるようになった[2]

1988-1989年シーズンの全日本ジュニア選手権で優勝。翌1989-1990年シーズンの世界ジュニア選手権では日本人選手として初優勝。同シーズンにはシニアの世界フィギュアスケート選手権にも初出場し、14位。しかし翌1990-1991年シーズンは不調で代表入りを逃す。

1991-1992年シーズンの全日本選手権で2位となり、優勝した伊藤みどりと共にアルベールビル五輪・女子シングルの初の日本代表入りを果たす。同五輪ではオリジナルプログラムフリースケーティングで共に7位となり、総合で7位入賞。2年ぶりの出場となった1992年世界選手権では8位。翌1992-1993年シーズンの全日本選手権で初優勝。1993年世界選手権では4位入賞を果たし、翌1994年に行われる1994年リレハンメルオリンピックの日本女子シングル代表「2枠」を確保した。

1993-1994年シーズンの全日本選手権で2年連続の優勝を果たし、2位となった井上怜奈と共にリレハンメル五輪・女子シングルの二大会連続オリンピック日本代表入りとなる。同五輪のテクニカルプログラムでは、トリプルルッツからのコンビネーションジャンプの予定がシングルルッツとなり失敗、7位と出遅れる。フリースケーティングではほぼノーミスの演技をこなし、五輪メダルは惜しくも届かなかったが総合で5位入賞。アルベールビルオリンピックに続き、冬季五輪で2大会連続入賞を果たした(他女子シングル日本代表では伊藤みどり(5位・銀メダル)に次ぐ二人目の快挙である)。

オリンピック後の1994年3月に千葉県幕張メッセで行われた世界選手権では、リレハンメルオリンピック金メダリストのオクサナ・バイウルと銀メダリストのナンシー・ケリガンが欠場し、銅メダリストの陳露が予選後に棄権したため、同オリンピック4位のスルヤ・ボナリーと同5位の佐藤との一騎討ちの展開となった。予選、ショートプログラムで佐藤が1位、ボナリーが2位。フリースケーティングでは先に滑走したボナリーが、計7つのトリプルジャンプに挑戦し、トリプルルッツでは両足着氷、トリプルループでは手を付くミスがあったものの、コンビネーションジャンプを3つ成功させた。一方の佐藤は、トリプルトウループがダブルトウループになるミスはあったものの、計6つのトリプルジャンプを成功させ、コンビネーションジャンプも2つ成功させた。技術点ではボナリー、芸術点では佐藤とジャッジ9人の票も割れたが、最終的に4対5で佐藤が日本人選手として2人目の世界女王となった。

世界選手権後にプロスケーターに転向し、北米に拠点を移す。スターズ・オン・アイスチャンピオンズ・オン・アイスなどのアイスショーに多数出演。世界プロフィギュア選手権ではクリスティー・ヤマグチと優勝争いを演じたことで一躍注目を集め、のちに夫となるジェイソン・ダンジェンとペアを組みペアスケーターとしても活動。世界プロフィギュア選手権で4度優勝している。1999年にダンジェンと結婚。

コーチ 兼 振付師としても活動しており、デトロイトスケートクラブを拠点にアリッサ・シズニーやジェレミー・アボットの指導をしていた。1998年からは日本人選手の指導も行う。

1998-1999年シーズンは荒川静香の振付も担当。その後小塚崇彦三原舞依鈴木潤 の振付を行っている。

1998年長野オリンピック2002年ソルトレークシティオリンピック2006年トリノオリンピックで解説を担当。NHK杯などの放送でも解説も行っている。

2013年にダンジェンと離婚。コーチとしての仕事は共に続けていく[3]

2022年10月開催の Stars On Ice八戸公演(Stars On Ice JAPAN TOUR 2022 Autumn)を以て、プロスケーター生活に終止符を打つと発表した[4]。プロ活動終了後は、振付や演出のほか、アイスショーを作っていきたいということが夢であり目標だと語っている。[5]

主な戦績

アマ競技歴

大会/年 1987-1988 1988-1989 1989-1990 1990-1991 1991-1992 1992-1993 1993-1994
オリンピック 7 5
世界選手権 14 8 4 1
全日本選手権 3 3 2 4 2 1 1
スケートアメリカ 1
ネイションズ杯 5
NHK杯 5 3 2 3
プラハスケート 1
ピルエッテン 6
世界Jr.選手権 10 1
全日本Jr.選手権 1 1

プロ競技歴

  • 1995年 世界プロフィギュア選手権 優勝
  • 1996年 世界プロフィギュア選手権 2位
  • 1998年 世界プロフィギュア選手権 2位
  • 2000年 世界プロフィギュア選手権 優勝
  • 2001年 スケーターズ・チャンピオンシップ 優勝
  • 2002年 スケーターズ・チャンピオンシップ 優勝
  • 2003年 スケーターズ・チャンピオンシップ 優勝
    • 世界プロフィギュア選手権は2001年よりプロアマ混合のスケーターズ・チャンピオンシップに改めた。



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