伊藤宗看 (3代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/06 07:28 UTC 版)
参考資料
- 大山康晴『日本将棋大系 第5巻 三代伊藤宗看』(筑摩書房、1978年)
- 山本亨介「人とその時代五(三代伊藤宗看)」(同書247頁所収)
- 原田泰夫『日本将棋大系 第6巻 伊藤看寿』(筑摩書房、1979年)
- 山本亨介「人とその時代六(伊藤看寿)」(同書249頁所収)
- 鈴木宏彦『イメージと読みの将棋観』(日本将棋連盟、2008年)169-180頁
脚注
注釈
外部リンク
- ^ 『象戯作物』序文を書いた林信充は、図式献上前の公命での名人襲位は三代宗看のみであるとする。
- ^ 門脇芳雄は、名人襲位前後に図式の創作を開始したのではないか、と推測している。
- ^ 対局日時は角落ち番は5月17日、香落ち番は6月2日で、既に元文年号に改元している。
- ^ 宗看に香落ち番で勝利した翌日に、八代宗桂と平手で対戦している。
- ^ この当時、弟に家督を相続させるためには弟を養嗣子とすること(これを順養子と呼ぶ)が必要であり、一般的に行われていた。例えば徳川綱吉は兄である徳川家綱の養子である。
- ^ 寛保2年(1742年)に宗看の自宅で四代宗与と左香落ちで対戦した棋譜が存在するが、御城将棋の内調譜とはみなされていないという。
- ^ 山本亨介は、継母との関係が悪く酒色に溺れていたのではないかとしている。
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