井植歳男
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井植記念会
1962年(昭和37年)、歳男は淡路島の東浦町に公民館を建て、青少年教育、郷土の社会教育の発展のための「財団法人井植愛郷会」を設立した[5]。歳男の没後、記念会は1969年(昭和44年)11月に「財団法人井植記念会」と改称、翌年には神戸市垂水区塩屋のジェームス山山頂に「井植記念館」が建設された[5]。1973年(昭和48年)度からは「井植文化賞」を制定、受賞者は兵庫県在住または兵庫県にゆかりの深い個人・団体となっている[5]。2011年(平成23年)4月1日からは「公益財団法人井植記念会」に移行した[5]。
井植記念館
神戸に在住していたイギリス人実業家のアーネスト・ウィリアム・ジェームス(Ernest William James、1889-1952)が1933年(昭和8年)に神戸市垂水区塩屋の土地を購入、その後周辺一帯を開発しジェームス山と呼ばれた[6]。1952年にジェームスが死去した後、井植がジェームスの資産の多くを取得した[6]。ジェームス邸は三洋電機の迎賓館「望淡閣」として使われた[注 1]。井植の没後、井植記念会の活動拠点としてジェームス山の山頂に井植記念館が建てられた[5]。記念館には三洋電機の歴史とジェームス山の歴史が紹介されている。ロビーには三洋電機の社員で工業デザイナーの彫刻家富永直樹製作の井植歳男像が設置されている。
施設案内
- 住所:〒655-0873 兵庫県神戸市垂水区青山台1丁目21-1[8]
- 開館時間:9時00分 - 16時30分[8]
- 定休日:土・日・祝・年末年始・夏休み[8]
- アクセス
- 電車:JR塩屋駅北口から 徒歩 17分
- バス:美山台1丁目下車徒歩 4分
- 車:第二神明道路名谷インターチェンジより7分(駐車場無し)
脚注
注釈
出典
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 78頁。
- ^ 柳町功「1960年代における韓国・三星財閥の新規事業展開 : 肥料プロジェクトの挫折と電子事業への進出」『三田商学研究』第49巻第6号、慶應義塾大学出版会、2007年1月、147-158頁、ISSN 0544-571X、NAID 40015406005、CRID 1050001337394066816。
- ^ 李恵美「<論文>サムスングループの形成と成長における日本からの影響 : 1938年から1987年までの期間を対象に」『国際日本研究』第8巻、筑波大学人文社会科学研究科国際日本研究専攻、2016年3月、125-144頁、doi:10.15068/00145457、hdl:2241/00145457、ISSN 2189-2598、CRID 1390853649580733056。
- ^ “LIXIL、井植副社長が6月退任 三洋電の創業家出身”. ニュース. 日本経済新聞 (2017年5月8日). 2018年1月13日閲覧。
- ^ a b c d e 井植貞雄. “理事長ごあいさつ”. 井植記念会. 2023年5月2日閲覧。
- ^ a b 水島あかね、玉田浩之「神戸市塩屋ジェームス山の戦後拡張計画について」『日本都市計画学会関西支部研究発表会講演概要集』第16巻、2018年、doi:10.11361/cpijkansai.16.0_1、2023年5月2日閲覧。
- ^ “築 80 年 神戸の歴史的洋館「旧ジェームス邸」が建築デザイン賞受賞”. ノバレーゼ. 2023年5月2日閲覧。
- ^ a b c “井植歳男記念室のご案内”. 井植記念会. 2023年5月2日閲覧。
固有名詞の分類
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