井村君江
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/30 15:18 UTC 版)
2003年に生まれ故郷の宇都宮市にケルト・妖精関係資料(文豪の自筆原稿や貴重な美術品を含む)を寄贈した。寄贈された資料を展示するため、2007年7月31日、世界的にも珍しい妖精をテーマにした美術館うつのみや妖精ミュージアムがオープン、名誉館長に任命される。
来歴・人物
栃木県宇都宮市の旧家に生まれる。出産とともに、母は実家へ帰ったため実母に会ったことがない。(以下『妖精の輪の中で』)本名は君江・井村・ローラー。一番目の夫は美学者井村陽一(禅僧・南画家であった井村常山の孫で若くして病没)、二番目の夫は中世英文学の権威でオックスフォード大学教授であったジョン・ローラー。
栃木県立宇都宮女子高等学校を経て、青山学院大学文学部英文科を卒業[1]。青山では日夏耿之介、院長の豊田実に師事。同大学院修士課程を修了後、同大学助手を2年務めた後、1960年東京大学大学院比較文学比較文化専攻修士課程に入学、島田謹二らに師事する。1962年修士課程修了。修士論文は『日本におけるオスカー・ワイルド』(修士論文としては異例であるが、全部で500ページにも及ぶ)。
1965年同博士課程を満期退学し、鶴見女子大学英文科の教員となる。1968年夫井村陽一が38歳で急逝。校名変更により鶴見大学助教授、1977年ケンブリッジ大学、オックスフォード大学客員教授。師日夏耿之介の「全集」(河出書房で全8巻)を編集し、伝記研究も今日まで続けている[2]。
鶴見大学在職時には、上皇后美智子(当時は皇太子妃)から招かれ、東宮御所で妖精文学について進講したことがある。
1982年英国の英文学者ジョン・ローラーと再婚。その後明星大学教授となる。1999年に脳梗塞で倒れ、左半身不随になる。同年夫ローラーが死去。2002年明星大を退任。この数年は闘病生活を送りつつ、生まれ故郷の栃木県宇都宮市や都内を中心に講演・執筆活動など、精力的に活動している[3]。
エピソード
- 女学生時代に川上澄生の英語の授業を受け、その影響で川上の母校である青山学院大学を目指した。
- 蘆原英了と一緒に『シャンソンに親しむ会』で活動していた関係で、来日したジョセフィン・ベイカーに楽屋でお茶を出した。
- ^ “ぐるっと首都圏・母校をたずねる:栃木県立宇都宮女子高/5 混乱期にも西洋文化学ぶ 井村君江さん /東京”. 毎日新聞. 2022年7月30日閲覧。
- ^ 交流は、自伝『妖精の輪の中で』(筑摩書房)に一端が知れる。
- ^ 妖精資料の概要|宇都宮市
- ^ 自伝、2009年に私家版で新版刊
- ^ ちくま学芸文庫版『日夏耿之介文集』、『サバト恠異帖』を編・解説。また『矢野峰人選集(2) 比較文学・日本文学』(国書刊行会、2007年)の解説担当。
固有名詞の分類
- 井村君江のページへのリンク