中国人民政治協商会議
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/08 10:27 UTC 版)
概要
1946年1月10日に蔣介石と毛沢東の双十協定に基づいて前身の政治協商会議が重慶で開催され、和平建国綱領を採択するもその後の国共内戦で解散する[1]。そして1949年9月21日に第1回全体会議が北平(現在の北京)で開催された[1]。国家の最高権力機関としての職権を代行し、以下の事項を決定した。
- 臨時憲法となる「中国人民政治協商会議共同綱領」を採択[1]
- 中央人民政府主席に毛沢東を選出
- 北平を北京と改名して首都に定める[1]
- 西暦を採用[1]
- 10月1日を国慶節に決定
- 『義勇軍進行曲』を仮の国歌と決定[1]
- 五星紅旗を国旗に決定[1]
1954年に第1期全人代が開催された後は、国家権力機関から統一戦線組織の色合いを濃くしていった。全国政協は中国共産党[2]・中国国民党革命委員会・中国民主同盟・中国民主建国会・中国民主促進会・中国農工民主党・中国致公党・九三学社・台湾民主自治同盟の民主党派・中国共産主義青年団・中華全国総工会・中華全国婦人連合会・中華全国青年連合会・中華全国工商業連合会・中国科学技術協会・中華全国台湾同胞聯誼会・中華全国帰国華僑連合会・無党派民主人士[2]・文化芸術界・科学技術界・社会科学界・経済界・農業界・教育界・スポーツ界・マスコミ出版界・医薬衛生界・対外友好界・社会福祉界・少数民族界[2]・宗教界・特邀香港人士[2]・特邀澳門人士[2]・特別招請人士[2]で構成されており、委員には創設以来チャン・イーモウ(張芸謀)、姚明[3]、ジャッキー・チェン(成龍)[4]、スタンレー・ホー(何鴻燊)[5]、愛新覚羅溥儀など海外でも著名な人物が選ばれている。
任期は5年[1]で全体会議は全人代とほぼ同じ3月ころに開催される。会期中は政策提案などがなされる。一方の政府監督という職務は有名無実化しており、引退させられた政治家が名誉職としてあてがわれるケースがある。広東省の葉選平元省長・王兆国・香港の董建華前行政長官らがそうである。
2009年6月19日まで開催された第11期第6回会議で、政治協商会議主席に規律違反・法律違反をした委員に対する資格剥奪権を与える決定を行った。この決定により、陳紹基が全国委員会港澳台僑委員会副主任と政協委員の資格を剥奪されている。
2020年開催の第13期第3回会議は新型コロナウイルスの感染拡大が続いている現状を踏まえ、全国人民代表大会(第13期第3回会議)共々延期され[6][7][8]、5月21日の開会となった[9]。
- ^ a b c d e f g h “中国人民政治協商会議”. 中国政協网 (2011年5月11日). 2018年2月24日閲覧。
- ^ a b c d e f “中国人民政治協商会議の組織形態はどうなっているのか”. www.peoplechina.com.cn. 人民中国. 2020年6月16日閲覧。
- ^ “姚明参加政协会议座位很特殊椅子没有扶手(图)”. 捜狐 (2015年3月4日). 2018年3月20日閲覧。
- ^ “ジャッキー・チェン氏ら助言機関委員に 中国共産党”. 日本経済新聞. (2013年2月2日)
- ^ “全国政协常委何鸿燊博士:扎根澳门 热爱祖国”. 人民網. (2003年3月3日)
- ^ “全人代延期へ 新型肺炎で異例措置―習氏に打撃・中国:時事ドットコム”. 時事ドットコム (2020年2月17日). 2020年2月17日閲覧。
- ^ 中国、全人代の延期を正式決定 開幕時期は決まらず - 日本経済新聞 2020年2月24日配信
- ^ 中国の全人代、延期決まる 新たな日程は未定 - 朝日新聞デジタル 2020年2月24日配信
- ^ 中国全人代、5月22日開幕へ 2カ月半遅れ - 日本経済新聞 2020年4月29日配信
- ^ 政協第十二届全国委員会副主席名単,新華社北京2013年3月11日
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