三重県立四日市南高等学校 設置学科

三重県立四日市南高等学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/05 03:14 UTC 版)

設置学科

概要

三重県四日市市の南部丘陵地の一角、登城ヶ丘に所在。三重国体で使用した本格的な競技用の50mプール(B級公認)があったが、今では埋め立てられており、駐車場となっている。北勢地区では自由な校風として知られる。

1974年三重県立四日市高等学校(四高)との総合選抜制度(学校群制度)開始に伴い、四高と同一水準の生徒が入学。ほぼ互角の実績を残し、三重県北勢地区屈指の進学校として知られた。しかし、1995年に21年間に及んだ総合選抜制度の廃止後、学力最上位層が四日市高校に流れる傾向がみられる。

現在も文武両道を重んじ、課外講座を豊富に用意しているほか、部活動や学校行事も活発である。例年、入試の志願倍率が高い。四日市高校より現役志向が強く、既卒生の大学受験が四日市高校より少ないのが特徴。[要出典]

沿革

教育方針

  1. 勉学と運動を奨励して、豊かな人間性を備えた心身ともにたくましい生徒を育てる。
  2. 誠実・素直・勤勉の気風を養うと共に開拓者精神を培う。
  3. 人権を尊重し、差別のない明朗な気風を育てる。
  4. 個性を生かし、一芸一能を重んじ、才能の開発と発展につとめる。
  5. 品性を磨き国民性・社会性を身につけさせる。

校歌

  • 校歌谷川俊太郎作詞・武満徹作曲である[1][2]。谷川にとって初めて手がけた高校の校歌である[2]
  • 3番の歌詞に公害賛美ともとれる内容があったため、谷川俊太郎自身の要望で1979年に一部歌詞が差し替えられた[1][2]
  • 音楽部員の校歌の歌声で朝の会が始まる。

交通


  1. ^ a b 金子淳(2011)"公害展示という沈黙―四日市公害の記憶とその表象をめぐって―"静岡大学生涯学習教育研究.13:13-27.(26ページより)
  2. ^ a b c 「過去に問う 未来への答え 谷川俊太郎さん作詞 四日市南高校歌 公害経て歌詞は変わる」中日新聞2017年1月1日付、4部三紀3ページ
  3. ^ “毎日フォーラム・霞が関ふるさと記 三重県(上)”. 毎日新聞デジタル (毎日新聞社). (2018年4月10日). https://mainichi.jp/articles/20180406/org/00m/010/022000c 2024年5月2日閲覧。 


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