三ツ山古墳群 概要

三ツ山古墳群

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/10 02:09 UTC 版)

概要

三ツ山古墳群は古墳時代の古墳群。方墳3基で構成されていた。しかし1979年昭和54年)に国道155号の拡幅工事が行なわれることとなり、北側の2基(1・2号墳)が破壊されることとなった。そこで同年発掘調査が行なわれた。いずれも1辺約20mの方墳で、墳頂部に割竹形の木棺割竹形木棺)が安置されていた他、副葬品として銅鏡3面と製武具、農工具などが見つかった[1]。またこの調査結果から、4世紀末~5世紀初頭に築造されたことが解かっている。なお残された3号墳はまだ調査が行なわれておらず、現在三ツ山会館の敷地内に保存されている。

田中砦跡

田中砦跡は、1584年天正12年)の小牧・長久手の戦いの折り、秀吉軍が築いたとされる跡である。同古墳を含む一帯に、東西十六間、南北三十間に渡って築かれたとされている。布陣したのは堀長政、蒲生氏郷加藤光泰など。しかし布陣した兵力は分かっていない。なお現在遺構などはまったく残されていないが、古墳の前に砦跡を示す石碑が建てられている。

年表

所在地

  • 愛知県小牧市大字東田中字金井戸地内 三ツ山会館周辺

交通手段

関連書籍

  • 『三ツ山古墳群発掘調査報告書』小牧市教育委員会、愛知県土木部/編(小牧市、1980年3月)

  1. ^ 出土品は現在小牧市歴史館で展示されている。


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