ヴィジャヤナガル王国 ティルパティの存在

ヴィジャヤナガル王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/28 10:04 UTC 版)

ティルパティの存在

ティルパティにあるヴェンカテーシュヴァラ寺院

ティルパティはその後も聖地として扱われ、1681年にゴールコンダ王国の大臣の一人アッカンナー・パーンディト(テルグ地方のバラモン)が訪れており、1687年に皇帝アウラングゼーブがゴールコンダ王国を征服したときも、民衆の抵抗が起こるのを恐れ、この寺院を略奪することはなかったといわれる。

18世紀、ムガル帝国の広大な領土が分裂したのちも、ティルパティは聖地として扱われ、カルナータカ太守サアーダトゥッラー・ハーンの重臣ラーラー・トーダル・マルは自分とその妻の像をおさめ(つまり、自分をかつてのクリシュナ・デーヴァ・ラーヤと同一視している)、マラーター同盟の宰相バージー・ラーオ1世や、ニザーム王国の君主アーサフ・ジャー(彼はムスリムだが)もこの地を訪れている。

そして、現在に至るまで、ティルパティはヴェンカテーシュヴァラ寺をはじめ、かつての古都ヴィジャヤナガル同様にヒンドゥー教徒の聖地である。

歴代君主

サンガマ朝

サールヴァ朝

トゥルヴァ朝

アーラヴィードゥ朝

脚注

[脚注の使い方]

  1. ^ ただし、アーラヴィードゥ朝は、ペヌコンダ、チャンドラギリ、ヴェールールに首都をおいたために除く場合もある
  2. ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.124
  3. ^ a b c d e 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.149
  4. ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、pp.150-151
  5. ^ a b c 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.150
  6. ^ a b c d e f g h 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.151
  7. ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.152
  8. ^ a b c d 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.153
  9. ^ a b c d e f g 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.154
  10. ^ a b c 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.155
  11. ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』年表、p.36





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