リボー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/12 00:54 UTC 版)
引退後
種牡馬となったリボーは最初イギリスのダービー伯爵のもとで供用され、翌年から2年間イタリアのオルジアタ牧場で供用された。その後、アメリカのダービーダンファームへ5年間のリース契約ながら135万ドルという史上最高価格が提示されアメリカに渡った。アメリカに渡ってからのリボーは環境の変化と加齢のためか、若いころの人懐っこい性格は姿を潜め、非常に扱い辛い性格へとなっていった。そのため、5年後にイタリアに戻る予定が、渡航の危険性から保険の引き受け手が見つからなかった。ダービーダンファームは5年間のリース期間延長と引き替えに追加で135万ドルを支払った。
産駒は世界中に拡散したが、おもにヨーロッパで走った産駒が活躍した。種牡馬としての能力も高く、テシオもう一頭の代表馬ネアルコを幾つかの指標で上回っている。安定して産駒が活躍することが特徴で、勝ち馬率は6割近く、イギリスでのアーニングインデックス(最終)は10近くに達している。
後継種牡馬はさほど大きく広がらなかったが、一時はトムロルフが孫の代にアレッジド(Alleged。リボー以来の凱旋門賞連覇を達成)を出し、グロースターク、ヒズマジェスティ兄弟も種牡馬として活躍した。21世紀以降は衰退傾向が強く、ヒズマジェスティの子孫を中心に少数が北米に残るに過ぎない。
- 1963、1967 - 1968年のイギリスリーディングサイアー
- 総産駒数 - 418頭、出走産駒 - 332頭(80%)、勝ち馬 - 247頭(59%)、2歳戦勝ち馬 - 76頭(18%)、ステークス勝ち馬 - 66頭(16%)、チャンピオンクラス - 9頭
主な産駒
- ラグーザ (Ragusa) アイリッシュダービーステークス、キングジョージ&クイーンエリザベスステークス、セントレジャーステークス
- トムロルフ (Tom Rolfe) プリークネスステークス、アメリカンダービー
- アーツアンドレターズ (Arts and Letters) ベルモントステークス、トラヴァーズステークス、ジョッキークラブゴールドカップステークス、1969年度アメリカ年度代表馬
- モルヴェド (Molvedo) 凱旋門賞、ドーヴィル大賞典、ジョッケクルブ賞
- プリンスロイヤル (Prince Royal) 凱旋門賞、ミラノ大賞典
- グロースターク (Graustark) 9戦8勝
- ヒズマジェスティ (His Majesty) 1982年北アメリカリーディングサイアー
- リボッコ (Ribocco) セントレジャーステークス、アイリッシュダービーステークス
- リベロ (Ribero) セントレジャーステークス、アイリッシュダービーステークス
- ^ “PFERDE / RIBOT - Hengst mit fünf Gängen” (ドイツ語). Der Spiegel. (1957-01-27) 2021年1月30日閲覧。. 当時の誌面(PDF)
- ^ 山野浩一『伝説の名馬 Part I』中央競馬ピーアール・センター、1993年10月、105頁。ISBN 4924426377。
- ^ 騎手のカミッチによると、これは「リボーは戦ってきた相手が弱い」という批判に対抗するためのパフォーマンスであった。
- ^ “American horses fail in Europe”. Sarasota Journal. (1956年10月8日). p. 13 2016年4月9日閲覧。
里坡
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