リッカルド・ムーティ
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シカゴ交響楽団の音楽監督へ
シカゴ交響楽団は約30年というブランクがあるにもかかわらず、スカラ辞任直後のムーティに猛アタックを掛け、客演を要請していた。客演後はヨーロッパツアーを率いるなど大切な業務を次々と依頼した。その過程から「次期音楽監督か」と憶測が飛び交った。2008年5月5日、シカゴ交響楽団の次期音楽監督に就任することが双方から発表された。楽団のメンバーから多くの手紙や署名が届けられ、決心に至ったという。任期は2010年から5年間となるが、就任前に事実上の活動(スポンサー対応やオーディションなど)を開始。2009年1月は就任直前のコンサートになったが、人気が過熱してチケットは入手困難に陥りスポンサーを失望させた。そこでムーティは前例のない「スポンサー限定公開リハーサル」を実施して難局を乗り切った。2010年5月、ムーティは正式に音楽監督に就任。首席指揮者ベルナルト・ハイティンクもそのまま在任している。
ウィーン・フィルとの信頼関係
もっとも親密なウィーン・フィルハーモニー管弦楽団では1973年以降ほぼ毎年指揮台に立ち、1996年にはウィーン音楽週間の最終公演で同楽団を指揮したほか、極東ツアー(日本、韓国、香港)やドイツツアーのほか、1993年、1997年、2000年、2004年、2018年、2021年のニューイヤーコンサートでも指揮をとった。2005-2006シーズンは30回以上指揮台に立っている。ウィーン・フィルからはゴールドリングが贈られ、同楽団の中枢メンバーで構成されるウィーン宮廷楽団の初代名誉音楽監督を務める。Wph専用機(エアバス機)に搭乗が許される唯一の指揮者であり、カール・ベームやヘルベルト・フォン・カラヤン並の待遇を受けている。創立150周年記念、楽友協会125周年記念 他、記念コンサートでタクトを託されている。1975年の初来日はベームに帯同してウィーン・フィルと果たしており、その後1999年、2005年、2008年と4回来日を重ねている。2011年7月28日、ザルツブルク音楽祭開催中に70歳を迎え、ウィーン・フィルより名誉団員の称号を贈られた。
ミュンヘンとの関係
1979年、バイエルン国立歌劇場に初登場し、超一流歌手を並べた「アイーダ」を上演。この公演のリハーサルに訪れたのがカルロス・クライバーであり、それ以来親交が続く。その後、同じミュンヘン市内の名門・バイエルン放送交響楽団にも登場し、毎年客演を重ねたりレコーディングも行う。バイエルン放送交響楽団はロリン・マゼールの任期満了に伴い、マゼールの意向でムーティを音楽監督に打診する。しかしムーティ側から辞退の申し入れがあり、後任はマリス・ヤンソンスに決まる。この後もバイエルンとは良好かつ密接な関係は維持している。
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