リッカルド・ムーティ エピソード 

リッカルド・ムーティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 16:34 UTC 版)

エピソード 

  • 同僚指揮者に極めて辛辣なセルジュ・チェリビダッケをして、「恐ろしく無知だが」という前提だが「才能がある」と認めさせた。チェリビダッケが才能を認めたのはムーティだけである[1]
  • ウィーン・フィルからお気に入りのヴィオラ首席奏者を引き抜いてスカラへ入団させた(後にウィーンに戻る)[要出典]
  • 専属のカメラマンが付く稀な指揮者であり、写真集も出版されている。そのほか公式サイトではその写真を公開している。
  • 近年は視力の衰え(白内障)が激しくメガネを掛けている。サインなどファンサービスには応じるが、視力が悪化した時は説明を行った上で写真撮影を断っている。
  • 2011年2月3日、シカゴ交響楽団とのリハーサル中に気を失って指揮台からステージに転落。顔面の骨と顎骨を骨折した(治療後に復帰)。その際、心臓にペースメーカーを埋めていることが明らかになった。
  • メディアや過激な聴衆からはよく「まるで帝王だ」と批判の対象になる。実際にムーティと決裂した相手は、演出家のフランコ・ゼフィレッリロベルト・アラーニャなど多く存在する。後日対立したゼフィレッリは「真のマエストロは妥協せず、気難しい性格になるものだ」とフォローした[4]。アラーニャも後日「歌手の限界に挑戦させる、極めて要求の厳しい指揮者だ」とコメントした。実際に芸術上の対立があった場合、基本的にはムーティのほうから先に去っている。
  • インフルエンザに掛かりやすく、12~2月にキャンセルが増える傾向にある。[要出典]
  • ジョークの多い指揮者で、リハーサルや記者会見でもしばしば用いる。心臓の調子を記者から質問されたとき、「問題は心臓ではなく頭だ」と自虐的に切り返した。[要出典]
  • 車の運転にはかなり自信があり、相当のスピードを出すことを認めている。車種はイタリア車ではなくメルセデス・ベンツを好んでいるとのこと[要出典]

  1. ^ a b c d e f ノーマン・レブレヒト『巨匠神話』河津一哉、横佩道彦・訳、文藝春秋、1996年
  2. ^ The Philadelphia Inquirer紙(米)、Il Tempo紙(伊)
  3. ^ "Dumbing down row at La Scala" the Guardian紙(英)2003年9月16日付記事。
  4. ^ Il Messaggero誌2009年3月20日号






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