ヨハネス・ロイヒリン ヨハネス・ロイヒリンの概要

ヨハネス・ロイヒリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/15 15:37 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ヨハネス・ロイヒリン
人物情報
生誕 (1455-01-29) 1455年1月29日
プフォルツハイム
死没 (1522-06-30) 1522年6月30日(67歳没)
シュトゥットガルト
学問
研究分野 神学聖書、古典ギリシャ語、ヘブル語
主な指導学生 フィリップ・メランヒトン
主要な作品De Rudimentis Hebraicis』 『De Arte Cabbalistica
テンプレートを表示

生い立ち

ドイツ (ヴュルテンベルク伯領)のバーデン=ヴュルテンベルクのプフォルツハイムで生まれた。父はドミニコ会の修道士であった。親族にフィリップ・メランヒトン(1497年 - 1560年)がいる。後年、ロイヒリンは43歳年下だった若き日のメランヒトンにユマニスムの教えを手ほどき、ハイデルベルク大学に通わせ、さらに姓をギリシア語名に改名させたのもロイヒリンだった。

ヴュルテンベルク伯領フライブルク・イム・ブライスガウにあるフライブルク大学で哲学や修辞学を修める。次いでドイツのテュービンゲンに赴き、 さらにフランスのパリポワティエオルレアンや、スイスのバーゼルに遊学してローマ法古典ギリシャ語を学び、最終的にバーゼル大学で学位を取得した。1485年に法律家となり、ヴュルテンベルク宮廷やバーデン宮廷に仕えて司法や立法をつかさどる[1]

ヴュルテンベルクのエーバーハルト伯の求めに応じてイタリアに外遊、現地でヘブル語を初めて学び、それからヘブル語の写本を収集した。帰国後、エーバーハルト伯が開学したテュービンゲン大で古典ギリシャ語や法学を教えた。

当時すでに古典ギリシャ語の権威だったロイヒリンは1492年に本格的にヘブル語の研究を始め、それからヘブル語文法書『De Rudimentis Hebraicis』を刊行[2]。ピコ・デラ・ミランドラやマルシリオ・フィチーノの影響からカバラを学び始める。生涯にわたりヘブル語やカバラ研究に捧げたロイヒリンはのちにユダヤ人やユダヤ教を擁護して非難を浴びる。またロイヒリンは聖書を原典から研究し、ウルガタの権威に疑問を持つ。一連の研究から聖書主義を唱え、信仰は内心のみと提唱した。

プフェファーコルンとの論争

1511年、ロイヒリンのヘブル語研究は論争の対象になった。ユダヤ教からカトリックに改宗したドミニコ会修道士ヨハンネス・プフェファーコルンがヘブル語の書籍に対する批判キャンペーンを始めると、それに対抗したユダヤ人がマインツ大司教ゲンミンゲンの助けでプフェファーコルンによる書籍没収を調査するタルムード調査委員会が設立され、ロイヒリンも委員となった[3][4]。ロイヒリンとプフェファーコルンは論争を始め、エラスムスなども論争に参加した[4]ウルリヒ・フォン・フッテンハインリヒ・コルネリウス・アグリッパといったドイツのユマニストはロイヒリンを擁護、ドミニコ会に対抗した。ロイヒリンは1513年に異端として告発され、宗教裁判所でロイヒリンは激しく抗弁した。はじめ有罪のちに無罪を言い渡されさらにそれから紆余曲折した。

ロイヒリンはユダヤ教を擁護したことでも知られるが、論争以前の1505年の『回状』でユダヤ人は日々、イエスの御身において神を侮辱し冒涜している、イエスを罪人、魔術師、首吊り人と呼んで憚らず、キリスト教徒を愚かな異教徒と見下していると説教した[4][5]。また、論争においてもプフェファーコルンに対して「彼は先祖たるユダヤ人の精神のあり方をそのままに、嬉々として不敬の復讐に打ってでた」と述べている[4]

宗教改革

このころ1517年にヴィッテンベルクマルティン・ルターが立ち上がり宗教改革が始まったが、ロイヒリンはルターの宗教改革を痛烈に罵倒、反駁の論陣を張った。ロイヒリンは聖書主義者であり、大方ロイヒリンはプロテスタンティズムに傾いていると考えられていたが、しかし、けっしてローマ・カトリック教会を離れたわけではなかった[6]。また、ロイヒリンは、宗教改革で活躍したフィリップ・メランヒトンの大伯父でもあったがルターを支持しなかった[7]


  1. ^ Jewish Encyclopedia
  2. ^ The Columbia Encyclopedia, 6th ed.
  3. ^ Encyclopedia of World Biography
  4. ^ a b c d ポリアコフ 1巻, p.262-268.
  5. ^ Johann Reuchlin, Tutsch missive,warumb die Juden so lang im ellend sind.
  6. ^ Encyclopedia Britannica
  7. ^ 常葉謙二「ロイヒリン」日本大百科全書(ニッポニカ)、「ロイヒリン」ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
  8. ^ The Concise Oxford Dictionary of World Religions


「ヨハネス・ロイヒリン」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヨハネス・ロイヒリン」の関連用語

ヨハネス・ロイヒリンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヨハネス・ロイヒリンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヨハネス・ロイヒリン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS