ミカ・ハッキネン 証言

ミカ・ハッキネン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/20 05:30 UTC 版)

証言

ライバル

ミハエル・シューマッハ

ミハエル・シューマッハは、ハッキネンを「最大のライバル」と常々公言してきた。

悪魔のように速い!!
ミカは非常に速くて、常に限界ギリギリのところにいる。チャンピオンシップを戦う相手として不足はない。もし彼を倒せば、最速のドライバーを倒すことになるから。つまりそれは・・・。とにかく、僕は彼以上のドライバーを知らない。[49]
マクラーレンのマシンは状況によってはものすごく運転しにくいクルマに見える。それをあそこまで仕上げるミカの能力は並大抵のものではない。脱帽だよ・・・。[48]
何度も言ってるけれど、ミカのようなライバルを持つことができて、僕はとても光栄なんだ。彼は速い。予選でもレースでも本当に速い。そして、同時にとても誠実な対戦相手だ。レースで戦っているときも、彼ならバカげた行動は決してしないと確信が持てる。ここ何年か、彼とは常にタイトルを競い合ってきた。だけど僕らに問題があったことは一度もない。それは僕がほかのドライバーについて、あるいは一個人としてだれかを判断する上で、とても重要なポイントなんだ。[50]

ジョニー・ハーバート

ロータス時代のチームメイトであったジョニー・ハーバートは、ハッキネンを「変わってしまったけど、僕に対してはいい人」と言う。

ミカは素晴らしい。文句なしに素晴らしい。でも、彼はマクラーレン入りしてから大きく変わったんだ。どう振舞わなければならないのか頭に叩き込まれてしまい、そのせいで一部のジャーナリストからの評判が悪くなってしまった部分がある。でも一対一で話してみると、以前と同じで何も変わっていない。間違いなく、ナイスガイだよ。

そしてコース上での彼は、ミスタークリーンなんだ。彼は一度も、他のドライバーをコース外に押し出したりしていない。決してそんなことはしないし、根に持つタイプでもない。1992年の最初はセッティング[注釈 6]を教えあっていたが、競争力のあるロータス・107が投入されると僕は同じことをしていたのに、彼は返してくれなくなった。それでお互いに教えあわなくなったけど、情報を隠すというものではなかったからOKだった。だから、友達関係は続いていたよ。[51]

マクラーレン

ロン・デニス

1998年シーズンを振り返った際に、ロン・デニスは第12戦ハンガリーGPでのハッキネンのドライビングが印象的だったと語る。

見事と言うよりなかった。今シーズンのベストドライブだったと言って良いだろう。普通に考えてマシンがあんな状態[注釈 7]になったら、次のコーナーでどんな動きをするのか全く予測がつかないから、ドライビングなんてできるはすがないんだ。それでもミカはスピンすることもなく、精一杯スピードをキープして6位に入賞した。トラブルの原因は100%チームの責任だが、損失を最小限に食い止めてくれたのはミカ・ハッキネンというドライバーだった。[52]

エイドリアン・ニューウェイ

ハッキネンとの関係を、エイドリアン・ニューウェイはこのように述懐した。

マシンの挙動に関するミカのレポートは簡潔かつ正確で、テクニカルフィードバックとしてはきわめて良質だった。彼はマシンをどのように変えてくれとは言わない。彼がレポートするのは、現在どういう挙動であるかだけだ。したがって、それを基にマシンをどういじるかは、エンジニアの手に任される。私はこの役割分担が非常に気に入っている。[52]

デビッド・クルサード

デビッド・クルサードは、ハッキネンをミハエル・シューマッハと比較して次のように評する。

ミカの優れた点はF1ドライバーの中でも屈指の速さを持っていることだ。僕らは何年も一緒だけど、自分より速いチームメイトほど、やる気にさせてくれる存在はないからね。ミハエルが尊敬の目で見られているのは、自分自身をどんな時でもハードでアグレッシブでハングリーのように演出してるからで、実際に走るとミカのほうが速いことが多い。ミハエルのほうが激しいレースをしているように見えるケースが多いかも知れないけど、独走していたら攻めの走りをする必要がないからね。ミカは今でもドライバーとしては別格なんだ。それにもし僕がオーナーだったら、ミハエルよりミカを先に雇うね。

レーシングドライバーと言えば、速さと成績が問題になる。その両方を考えるよね。速さに関してミカとミハエルの間に大きな差はないと思うけど、ふたりが持つ速さは正反対にあると思う。だけど、僕はミカのほうが速いと思うよ。ミカはかなり大きなプレッシャーが掛かっても平気みたいだね。ミカは自分を隔離して、気持ちを集中させているんだ。それに対してミハエルがプレッシャーに強いとは思えない。ミハエルは、かつて1994年オーストラリアGPや1997年ヨーロッパGPで、他人からみれば首をひねるような、やけっぱちな行動に出ただろ。1998年日本GPでもポールポジションにいながら、エンストをさせたこともあった。彼は追い込まれると文句ばかり言う。人が文句を言う時は、何かに脅威を感じているからなんだ。[53]

メルセデス・ベンツ

メルセデス・ベンツエンジンを製作するイルモアマリオ・イリエンは、「コンピュータが『これ以上速く走ることは出来ない』とはじき出したタイムを、ハッキネンは上回った」とコメントしている。

一般的にドライバーのタイムがシミュレーションを破ることは稀なのだが、ミカはしばしばマクラーレン・メルセデスのシミュレーションを超えてしまう。シミュレーションタイムはミカとデビッド・クルサードの間にあるのだ(笑)。ミカのドライビングスタイルはデビッドと比べて、スロットルの使い方が明らかに違うよ。ミカはコーナーの中、そして出口でマシンを操縦するためにスロットルを使っていて難しいコーナー、たとえばスパのオー・ルージュではデビッドとの違いが顕著に表れてる。何故あんなにアクセルを踏み込めるのか、僕にもわからない。何と言って良いのか・・・、ものすごく繊細なアクセル操作をしているのだろう・・・。[54]

ブリヂストン

ブリヂストン浜島裕英と市川良彦が、タイヤエンジニアとして証言した。

浜島裕英

タイヤテストで例えば12周のロングランをやる場合、ミハエル・シューマッハは手を抜くことなく12周を全力疾走してくれるが(そうでないとテストの意味がない)、ハッキネンは最初と最後は全力疾走するが途中は流してしまうことが多かった[55]

この点について

1998年開幕戦をぶっち切りで勝ち『今年はチャンピオンがとれそうだ』という流れになってくると、タイヤテストにもしっかり取り組んでいた。ピットインしてもマシンから降りないし、ロングランテストのラップタイムの中だるみも無くなった[56]

と語り、ハッキネンの引退発表時には

(引退は)もったいないですねぇ。休養中にテストしてもらいたかったが実現しなかった。ミカのタイヤの使い方は素晴らしく、あの豪快な走りを見ると、さもタイヤを酷使してボロボロになるような印象を受けるでしょうが、限界ギリギリで走り、タイヤを壊さない。ミカの凄いところは気合が入った時の集中力と一撃の速さ。スパッとしたカミソリの切れ味で予選もレースも途切れない。そうなるとミハエル(シューマッハ)も手がつけられなかった。ミカがいた頃のF1は、ミハエルと丁々発止のバトルが展開されてF1のレースそのものに緊張感が漂っていて面白かったな、と思います。そういう意味で、ミカは唯一ミハエルと張り合える天才ドライバーだったんだなと思いますね。ミハエルに対抗できるのはいまでもミカひとりだけだと私は思ってます。[56][57]

市川良彦

ブリヂストンのワンメイクで行なわれた1999年2000年シーズンに、テクニカルマネージャーとして全ドライバーと接していた。

ミカは人のせいにしない。そして非常に速い。テストは様々な形で情報を得れるし、経験の多いドライバーは細かいコメントをくれる。でも、基本的に速くないとダメなんです。1ラップ1秒の差でもタイヤにかけている負担が違うわけですから。速く走ることによって、タイヤ自体が豊富な情報をもたらし、そのための負担をかけてくれる。そういう意味で彼はもっとも評価すべきドライバーだと思います。また、テストの時に負担をかけ、レースの時には丁寧にという使い方ができ、速さのわりにタイヤにかかる負担が小さい。[54]
何故、あんなに速いのかという質問にタイヤ・エンジニアの立場で言えることは、ミカが比較的硬いコンパウンドを好むからですね。上手くないドライバーの場合、柔らかいコンパウンドはスリップ角を大きくつけられるし、反応が尖っていない分、操縦が楽になる。それに対して硬いコンパウンドは、最適のスリップ角を外すとアンダーステアオーバーステアが出る。彼には尖った反応に対応する高いコントロール能力があるから、硬いタイヤでも綱渡りのように最適の部分を使いこなせるんです。[54]
僕個人としては、ミカのファンですから(笑)。フェラーリの、勝利に対する貪欲さには感心します。でも、いい意味でのミカの不器用さ、極論すると腕ひとつで戦っていくような姿勢には、大きな敬意を感じます。僕は本当に速いのはハッキネンだと思ってますし、これからもずっと、一緒に仕事を続けたいドライバーです。[58]

  1. ^ オートスポーツ』を発行する三栄書房のF1速報誌で、1988~2004年に発行されていた(現在は休刊中)。ハッキネンは長年コラムを連載していた。
  2. ^ シリーズ終了後に抗議が提出されてチャンピオンはデビッド・ブラバムになった。
  3. ^ ミハエル・シューマッハもアイルトン・セナのタイムを破るが、2分21秒59と0.71秒差があり、予選4番手にエディ・アーバイン、7番手にミカ・サロが入った。
  4. ^ フランク・ウィリアムズはこの2ヶ月間マンセル、プロストに加えて「無給でもウィリアムズに乗りたい」と発言しシート獲得を希望したアイルトン・セナによるシート交渉で多忙を極めていた。
  5. ^ ロータス時代の予選落ち2回、1995年オーストラリアGPの負傷による決勝欠場 (DNS) 、1997年ベルギーGPの失格(燃料違反)を除く。
  6. ^ a b サーキットのコンディションにより、マシンをより速く走らせるために各パーツを調整すること。パーツにはサスペンションの強弱、ウイングの角度、車高、タイヤの空気圧、ギア比、エンジンのトルクなどその他、いろいろある。
  7. ^ ネジの締め忘れで、フロントサスペンションのリンケージトラブルが発生していた。
  8. ^ ヴィルヌーヴが6位(1ポイント)の場合は両者78ポイントで並ぶが、その場合は優勝回数の差(ヴィルヌーヴ7勝、シューマッハ5勝)が最終的な判定基準となるため。
  9. ^ コースが濡れている状態でレースが行なわれること。コースの状態によりドライレース(乾いている状態)とウエットレースに分けられる。スタート前にどちらの状態のレースなのか宣言され、ウエットレースが宣言された場合は天候の変化でレースが中断されることはない。
  10. ^ サーキットでコースの安全を担当する係員のこと。コースの各ポイントに多数配置され、クラッシュやコースアウトしたマシンを排除したり、状況に応じた各フラッグを提示、振るなどして危険を知らせたりする。またコースにオイル漏れなどの異常がないかも絶えずチェックしている。
  11. ^ 鈴鹿サーキット内に設置されているログキャビンハウスのこと。毎年レース終了後、ここでパーティが開かれるが、ワールドチャンピオン決定の時にはチームメンバーや関係者が朝までどんちゃん騒ぎをしている。
  12. ^ インペリアル・タバコグループ傘下レームツマ社のドイツ向けたばこブランド。
  1. ^ 「インタビュー ミハエル・シューマッハー」『F1速報 - モナコGP号』、ニューズ出版、2004年、pp. 24。 
  2. ^ 「完全掲載!ミハエル・シューマッハ引退公式会見全発言」『GRAND PRIX SPECIAL』、ソニーマガジンズ、2006年10月、pp. 11-13。 
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  16. ^ 資金不足で活動休止に陥っていたロータス危機回避か 再建へ向けて F1速報 1991テスト情報特集号 26頁 1991年2月8日発行 武集書房
  17. ^ ハッキネンがロータス入り、ケケ・ロズベルグが強力に推薦 オートスポーツ No.573 1991年2月1日号 三栄書房
  18. ^ 活動中止の危機に陥っていたチームロータス、ケケ・ロズベルグの強力なテコ入れによりミカ・ハッキネンとオルスト・シュベルがチームに加入。F1参戦は確保されそうだ。 F1速報 1991開幕直前号 38頁 1991年3月11日発行 武集書房
  19. ^ 新連載ミカ・ハッキネンコラム「忙しいサーカスの一員に」オートスポーツ No.580 1991年5月1日号 56頁 三栄書房
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  21. ^ Sports Graphic Number PLUS March2000 112頁 文芸春秋
  22. ^ 将来の投資にまで資金が回らない現状のロータス。実は資金面では相当苦しいのにこのチームはよくやっていると評価できる F1グランプリ特集 1992年10月号 チェックアップ・ザ・ポテンシャル 今宮純 47頁 ソニーマガジンズ
  23. ^ a b 密着ルポ・イタリアGPの72時間 ミカ・ハッキネンとチーム・ロータスの不思議な関係。by赤井邦彦 / Sports Graphic Number 301 '92F1日本GPプレビュー 42-44頁 文芸春秋 1992年10月20日発行
  24. ^ 戦い続ける若きヒーロー・次代の「チャンピオン」素質を秘めたロータスの2人のドライバー F1グランプリ特集 1992年11月号 78頁 ソニーマガジンズ
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  70. ^ Championship points standings for the Formula 3 Italy 1990 DriverDatabase.com ゲストドライバーのためポイント対象外
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