マルセロ・ディアス 経歴

マルセロ・ディアス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 10:05 UTC 版)

経歴

クラブ

地元・サンティアゴに本拠地を置くウニベルシダ・デ・チレの下部組織出身。2005年エベルトン戦でトップチームデビュー。2009シーズンには2位で前期を終え、プレイオフでウニオン・エスパニョーラを破り優勝を果たした。しかし翌2010シーズンにヘラルド・ペルッソが監督に就任すると出場機会が減少。2010年8月にCDラ・セレナへレンタル移籍を果たし、半年間で13試合で5得点を挙げる活躍を見せた。

2011年、新たにホルヘ・サンパオリが監督に就任したウニベルシダ・デ・チレへ復帰。2011シーズンにはリーグ戦34試合に出場し、前後期での完全優勝とコパ・スダメリカーナ制覇に貢献。プリメーラ・ディビシオンのベストイレブンにも選出された。

2012年7月、スイススーパーリーグFCバーゼルへ移籍[3]。7月17日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ予選2回戦のFCフローラ・タリン戦でバーゼルおよび欧州カップ戦デビューを果たした。バーゼルには2年半在籍し、58試合7得点を記録した。

2015年2月2日ブンデスリーガハンブルガーSVへ移籍[4]。残留争いに巻き込まれ不安定なチーム状況の中で6試合の出場に留まったが、6月1日に行われたカールスールエとの入れ替え戦の2ndレグでは、後半アディショナルタイムに直接フリーキックを沈めて残留に貢献[5]。しかし翌シーズンも出場時間が限られ、11試合(460分)の出場に留まった。

2016年1月14日リーガ・エスパニョーラセルタ・デ・ビーゴへ移籍[6]

2017年8月、メキシコリーガMXUNAMプーマスへ自由移籍で加入した[7]

2021年6月、クラブ・リベルタに移籍。

代表

2014 FIFAワールドカップでのディアス

2011年9月7日、代表から追放されたカルロス・カルモナの代役としてチリ代表に初招集され、2014 FIFAワールドカップ・南米予選ウルグアイ戦で代表デビュー。2014年5月30日に行われたエジプトとの親善試合で初得点を挙げた。

2012年、ウニベルシダ・デ・チレでも師事したホルヘ・サンパオリが監督に就任すると代表に定着。2014 FIFAワールドカップでは3-5-2の中盤でアルトゥーロ・ビダルチャルレス・アランギスとコンビを組んで、チリのベスト16進出に貢献した。

コパ・アメリカ2015では、試合によってDFとしてもプレイする献身性を見せながら、全6試合に出場。決勝のアルゼンチン戦でもDFとして先発出場を果たし、チリ史上初となるコパ・アメリカ優勝メンバーの一人となった。

翌年に行われたコパ・アメリカ・センテナリオでも同じくレギュラーとしてプレイしたが、2年連続での顔合わせとなった決勝のアルゼンチン戦では前半27分に2枚目のイエローカードを受け退場処分となった。しかしチームはPK戦の末に勝利を収め、2年連続でコパ・アメリカ優勝を果たした[8]

FIFAコンフェデレーションズカップ2017では全試合に出場し決勝進出に貢献したものの、決勝のドイツ戦では前半20分に自陣ゴール前でボールを奪われ失点。結果的にそれが決勝点となり、準優勝となった。




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