ヒルデガルト・フォン・ビンゲン ヒルデガルトの思想について

ヒルデガルト・フォン・ビンゲン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/22 13:56 UTC 版)

ヒルデガルトの思想について

伝記、著作品、書簡などから窺えるのは、彼女がベネディクトの戒律を厳格に守る修道女であり、当時のベネディクト会派の中でも特に保守的であったということであろう。これは彼女の性格やユッタ・フォン・シュポンハイムの影響が大きかったということもある。

教会」(エクレシア)という概念に対しては非常に強い愛着を示している。簡単にいえば「教会は神と一体であり、我々はその愛情に包まれている」という修道会特有の考え方に対して大きな共感をもっていた。彼女はマリアの処女性を投影し、「キリストの花嫁」を強調して、「教会」は一層女性的な性格を帯びることになる。ここにヒルデガルトのフェミニズムを見て取る事ができるとする考え方もある。聖母マリアについては、当時既にマリア崇敬が広まってきており、ベネディクト会の中でもそれを積極的に肯定する者も多く現れていた。一方ヒルデガルトは初期のキリスト教徒と同様に、マリアという対象そのものには無関心に近く、マリアの処女性という事に対してのみ非常に強い関心を表している。

特に宗教歌に目立つのが聖ウルスラに関するものである。ケルンの守護聖人でもある聖ウルスラを女子修道院の象徴としたのはヒルデガルトが初めてというわけではないだろうが、その処女性と殉教者という事に共感して多くの聖歌を作詞作曲した。そして、ここにもまた女子修道院の独自性を求めた姿が認められる。

また、神の世界での厳格な階層秩序(オルド)があるように、人間界にも階層があることを積極的に認めている。つまり貴族と庶民が違う階級で生活するのは当然の事であるという、貴族社会の考え方を修道院内でも実践していた。進歩的な他の女子修道院長からこの点について融和を図るべきだとの指摘の書簡に対しては、神はすべての階層に等しく愛を示している。生まれつき階層が分かれているのだからそのように生きるべきだとの回答をしている。


注釈

  1. ^ 現在シュポンハイムと呼ばれる地名は、当時シュパンハイムと呼ばれていたらしい。
  2. ^ ザンクト・ディジボード修道院は、アイルランドの聖コルンバ系修道士ディジボード(St.Disibod / Disibodus)が700年頃にこの地に教会を建設したのが始まり。1000年頃にマインツの大司教によって再整備された。16世紀の半ばに戦争や略奪で破壊され、現在は史跡として残されている。聖ディジボードの名前はヒルデガルトの記述によってのみ知られているに過ぎない。
  3. ^ O viridissima virga はアンティフォナに分類されている場合もある。

出典







固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヒルデガルト・フォン・ビンゲン」の関連用語

ヒルデガルト・フォン・ビンゲンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヒルデガルト・フォン・ビンゲンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヒルデガルト・フォン・ビンゲン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS