バイヨンヌ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/18 00:41 UTC 版)
歴史
紀元前3世紀、ローマ人によって駐屯地(カストルム)が置かれ、ラプルドゥム(Lapurdum)と呼ばれた。この名は北バスク国の1地方名ラプルディ(ラブール)に今日も残っている。続いてヴァスコン人(バスク人の祖先)がこの地を支配、彼らによってバイヨンヌと名付けられた。バイヨンヌという地名はバスク語で「川」を意味する語に由来する。
840年、現在のデンマークからヴァイキングがバイヨンヌに到達、その後も、9世紀から10世紀にかけてバイヨンヌはヴァイキングの侵攻を継続的に受けることになる。
アキテーヌ公領に吸収されていた1152年、女性領主であるアリエノール・ダキテーヌがのちのイングランド王ヘンリー2世と再婚したことにより、バイヨンヌは12世紀から15世紀にかけてイングランドの支配下に置かれた。この結果、スペイン国境に近い軍事的要衝でもあったことから、百年戦争以降、英仏間でバイヨンヌをめぐる争いが繰り返されることになる。そのため、武器生産もさかんとなり、銃剣はその地名にちなんで「バヨネット」と呼ばれた。
アドゥール川やバイヨンヌ港の整備が進むと、バイヨンヌ経済はタラ漁や捕鯨といった漁業およびその加工業で潤った。16世紀後半にはイベリア半島からユダヤ人たちがサンテスプリに移り住み、彼らがもたらした技術と知識によってバイヨンヌでチョコレートの生産が始まった。20世紀にフランコの独裁政権から庇護を求めてやって来たスペイン・バスクの人々は小バイヨンヌをその拠点とした。
1854年にパリと鉄道で結ばれ、ビアリッツで休暇を過ごす人々の観光拠点となった。その後、経済は一時低迷したが、20世紀に近郊のラックに油田が発見され、石油関連産品や周辺地域の農作物などの輸送の要として活況を取り戻しつつある。
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