ハッスル (プロレス)
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ハッスルポーズ
ハッスル軍の選手が、主に試合後に気勢を上げるために行うポーズである。橋本と小川が考案した。
腰の辺りで両腕を構え(拳は握る)、「スリー、ツー、ワン」のカウントダウンの後、「ハッスル!ハッスル!」と発声しながら、ウォー・クライのポーズで二度、両腕を力いっぱい引くと同時に腰を突き出す。当初は後背位のセックスを連想させるポーズであったため、微妙な評価であったが、継続しているうちに同イベントの象徴として定着した。TAJIRIはハッスルに正式参戦した後のサイン会で彼は「6月のECWワン・ナイト・スタンドでハッスルポーズをアメリカに広めたい」と語り、実際にハッスルポーズを黒田哲広と共に披露した。
橋本真也が途中でそのハッスルポーズはただ下品に終わってしまうとの観点から、従来のハッスルポーズに続けて頭上で手首を交差し「トルネード」と唱えながら腰を三回転半させた後に右足を出して「ハッスル!」と両腕を再度力いっぱい引く「トルネードハッスル」を考案したが、その普及を待たずして橋本が没したため、彼の追悼興行を最後に封印されている(ハッスル・ハウス vol.17で橋本真也没一年追悼公演「ハッスル・キング メモリアル6人タッグトーナメント」優勝の「チーム ハッスル・キング(大谷晋二郎・田中将斗・安田忠夫)」と橋本真也前夫人ら家族とともに「メモリアルトルネードハッスル」として記念に行われている)。現在はHG考案の「ハッスル!ハッスル!フォー!」と足を4の字に組むなど、HGの得意ネタである「フォー!」のポーズで締めることが多くなっている。ハッスル・ハウス vol.17では、モンスター軍からハッスル軍入りしたニューリン様が台の上に乗り、「ハッスル!ハッスル!トルネ〜ド〜MAX!」という掛け声と共に、橋本真也の考えたポーズにM字開脚を組み合わせたハッスルポーズを行った。
プロ野球の読売ジャイアンツの選手、阿部慎之助が2004年4月29日の試合で月間本塁打の日本タイ記録をマークした直後、先輩の清原和博、タフィ・ローズらと披露したことを端緒に、スポーツ界や芸能界にも広まって流行した。同年7月には日本高等学校野球連盟が『夕刊フジ』の取材に対し「ハッスルポーズなど、試合中の選手による派手なパフォーマンスには注意を与える」と述べ、同年の参議院議員通常選挙の遊説では当時の自由民主党幹事長だった安倍晋三が応援に駆け付けた小川の勧めでポーズを決め、同年11月には競馬のGIのジャパンカップに小川がゲストに招かれ、10万人以上の競馬ファンの前でハッスルポーズを行うなど、社会現象ともなった(しかし、これは小川が当時開催されたPRIDEヘビー級グランプリに参加し、そのリング上で披露した影響が強かったと思われる。そのため、当事者らがプロレスイベントでのポーズであるとの認識は希薄である)。
因みに、ハッスル軍が行うハッスルポーズに対抗し、高田モンスター軍にもモンスター軍流のハッスルポーズ「ドゥ・ザ・ハッスル」ポーズがある。胸の前で右腕で力こぶを作りながら「ドゥー・ザ・ハッスル!」と叫ぶだけの単純なポーズである。島田二等兵とアン・ジョー司令長官が普及を図っていたが、いつしかフェードアウトしていった。現在、モンスター軍が締める時は高田総統の音頭で「スリー、ツー、ワン、ビターン!」で締めている。退場する際は「バッドラックだ!」と言う(高田総統がその決め言葉を言う前に川田利明がその言葉を先走って言ってしまうことがあり、高田もその瞬間に「おーい、その言葉は俺のだろ」と慌てふためく瞬間が多い。その切り返しを受けた川田が意に介さない表情をするのも爆笑を誘う)。
2006年にギミック上第3代GMに就任した鈴木浩子が、小川直也が細木数子の冠番組に出演した際に教わったという新たなるポーズ「パワーアップでオー!」をハッスルポーズに代わる新たなポーズにしようと試みたが、初めて会場で披露した時には観客の大多数が拒絶反応を示した。
- ^ ハッスル公式サイト「ハッスル×KYORAKU 強力タッグを結成!『KYORAKU Presents ハッスル』誕生」2005年10月11日
- ^ All About「ハッスル山口日昇新社長に聞く(下)1 / 5」2007年6月24日
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- ^ ハッスル消滅危機…年内4大会急きょ中止 デイリースポーツonline 2009年10月28日
- ^ ハッスルどライヴ
- ^ ハッスルジハード公式サイト
- ^ ハッスルが事実上消滅…わずか6年で終止符 デイリースポーツonline 2009年12月9日
- ^ “ハッスルが分裂、新団体スマッシュを設立 元オリックス古木が総合格闘家デビューを目指す”. スポーツナビ. (2009年12月8日) 2011年2月8日閲覧。
- ^ “移籍リスト”から天龍、川田もれる デイリースポーツ 2009年12月8日
- ^ ハッスル、事務所兼道場を閉鎖 デイリースポーツ 2009年12月23日
- ^ 「俺はこれからもハッスルするぞ!」坂田亘、たったひとりでハッスル再始動を表明!! - ハッスル通信・2010年2月12日
- ^ 坂田たった1人でハッスル復帰宣言 - デイリースポーツonline・2010年2月12日
- ^ ついに坂田がハッスルの再始動を正式に表明!! 「ボクの全人生と全人格を懸けて臨みます」4・30『坂田“ハッスル”亘〜審判の日〜』の開催を発表!! - ハッスル通信・2010年3月26日
- ^ ハッスル、4月30日に半年ぶりの興行 - デイリースポーツonline・2010年3月26日
- ^ 坂田が靖国神社でハッスル再始動をPR!さらに越中の4・30後楽園大会参戦が決定! - ハッスル通信・2010年4月11日
- ^ 坂田再ハッスル、靖国神社でアピール - デイリースポーツonline・2010年4月11日
- ^ 4・30『坂田“ハッスル”亘〜審判の日〜』坂田“ハッスル”亘、山口日昇代表の一夜明けコメント - ハッスル通信・2010年5月1日
- ^ 坂田またも裏切られた!? ハッスル興行戦争が勃発 9月新宿で火花! 中村カントク新イベント旗揚げ - スポーツナビ・2010年6月9日
- ^ 『ハッスルMAN'Sワールド』がついに始動!新組織の代表には坂田“ハッスル”亘が就任!! - ハッスル通信・2010年7月21日
- ^ 坂田が離脱…「ハッスル」消滅の危機 - スポーツニッポン 2011年3月27日
- ^ 「オレがハッスル離脱なんて誰が言い出したんや!!」 - Twitter 坂田本人のツイート 2011年3月28日
- ^ 山口&坂田のトップ2が不在の緊急事態!ジェットは「ハッスルMAN'Sワールド5」を強行!!
- ^ livedoor Sports 江頭2:50、ハッスル参戦で「テポドン打ち込む」 2006年7月20日
- ^ 村松健至「GyaO、和泉元彌やHG参戦のハッスル・マニア2005全試合をノーカット配信」BroadBand Watch 2005年11月16日
- ^ スポーツナビ「ハッスル地上波レギュラー番組タイトルは「どハッスル!!」10月6日スタート」2007年9月14日
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- ^ 天龍さんが語る“気晴らし” 相撲時代は兄弟子に勝つこと、プロレス時代は馬場さんやジャンボの悪口で気分爽快(4/5ページ) AERAdot. 2022/06/26 07:00 (2022年7月3日閲覧)
- ^ Zakzak 地上波復活目論む…ハッスル、PRIDEから分離独立 2007年1月26日
- ^ ハッスルがDSEから独立、高田総統が買収を発表 スポーツナビ 2007年2月1日
- ^ ハッスル営業権を「ハッスルエンターテインメント」へ譲渡 BoutReview 2007年4月24日
- ^ 『金子ナンペイ公式サイト・ナンペイ魂』お仕事・イベントその他
- ^ ハッスル公式サイト “第2のインリン様オーディション”に衝撃的結末!高田総統の重大発表とは、なんと“合格者なし”だった!! 2008年12月25日
- ^ 明治製菓 プレスリリース 2004年11月18日
- ^ スポーツナビ「高田モンスター軍に「アマゾネス軍」が加入 デビューはクリスマスハッスル」2004年11月24日
- ^ ハッスル公式サイト「ハッスルドリンク新バージョン発売! インリン様、改めて川田にM字ビターンマッチを要求!」2005年6月6日
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