コンスタンティン・チェルネンコ 晩年

コンスタンティン・チェルネンコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/02 07:50 UTC 版)

晩年

当時在モスクワ日本大使館政務専門調査員だった秋野豊によると、書記長就任直後からチェルネンコが何を話すかより1分間に何回呼吸をしているのかということに着目し、健康状態を知ろうとしていたという。また、入院中のチェルネンコの病室をあたかも執務室であるかのように見せかけ、その模様がテレビや新聞などで報道された。この時、背広を着たチェルネンコの体を支える随行員の手が写真などに写った[1]

同年3月10日、チェルネンコは死去した[4][5][6]。73歳没。医師団は、チェルネンコの死因は長年患っていた肺気腫の悪化による心肺機能不全による心拍動の停止であると発表した。

日本では3月11日午後2時2分にNHKで「米・ABCがチェルネンコ書記長死去と報道」と速報が表示された[7]

遺体はモスクワの労働組合会館「円柱の間」に安置された[8][9]

服喪期間の後、3月13日13時から赤の広場で国葬が執り行われ、後継者となったミハイル・ゴルバチョフが葬儀委員長を務めた。ソ連国歌の演奏の中、チェルネンコの遺体がレーニン廟裏の革命元勲墓に埋葬される際には、5分間の弔砲の一斉射撃がモスクワや各ソビエト連邦構成共和国の首都などの都市で鳴り響いた。その間、ソ連全土の企業や組織は活動を停止した。葬儀には日本の中曽根康弘首相や安倍晋太郎外務大臣も参列した。

チェルネンコの死を以って「壮大な葬儀の時代」(ブレジネフ時代の政治局幹部の大多数が亡くなった1980年からの5年間をこのように表現する)は終わりを告げた。そしてブレジネフアンドロポフと続く老人支配の時代の幕引き役を演じた。

就任から1年余りの死であり、国民には不人気な書記長であったが、一家の家長としてはかけがえのない人物であった。妻のアンナは葬儀の際に溢れ出る涙を流しながら亡くなった夫にキスをし続けたという。ソ連時代の秘密主義によって、前任のアンドロポフ同様妻帯している事実が葬儀の席上で初めて対外的に判明した[10]

なお、2024年現在、チェルネンコが赤の広場の元勲墓に埋葬された最後の人物である。


注釈

  1. ^ ユリウス暦では9月11日となる。

出典

  1. ^ Jessup, John E. (1998). An Encyclopedic Dictionary of Conflict and Conflict Resolution, 1945-1996. Westport, CT: Greenwood Press. p. 121. https://www.questia.com/read/106899354/an-encyclopedic-dictionary-of-conflict-and-conflict  (要購読契約)
  2. ^ 木村明生「クレムリン 権力のドラマ」朝日選書、1985年、p374-375
  3. ^ 木村明生「クレムリン 権力のドラマ」朝日選書、1985年、p395-396
  4. ^ Время. Эфир 11 марта 1985 - YouTube - ソビエト連邦中央テレビ(ロシア語)
  5. ^ Soir 3 : émission du 11 mars 1985 - INA(フランス語)
  6. ^ Soir 3 : émission du 11 mars 1985 - YouTube - INA Actu(フランス語)
  7. ^ ニュース速報・字幕スーパー - NHKクロニクル
  8. ^ Время. Эфир 12.03.1985 - YouTube - ソビエト連邦中央テレビ(ロシア語)
  9. ^ Прощание с Константином Черненко в Колонном зале Дома Союзов. Время. Эфир 12 марта 1985 - YouTube - ソビエト連邦中央テレビ(ロシア語)
  10. ^ 木村汎, 皆川修吾, 西村可明 ほか 共著 「ソビエト研究 ソ連を知りたい人のために」教育社 1985年11月15日、p.6






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