ゲレディ・スルタン国 起源

ゲレディ・スルタン国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/25 03:00 UTC 版)

起源

17世紀末、アジュラーン・スルタン国は衰退の一途をたどり、さまざまな属国が離脱し、新たに現れたソマリアの勢力に吸収されていた。そこに現れた勢力の1つがシルシス・スルタン国で、シルシスはアフゴーイ地域の支配を固め始めた。イブラヒム・アデールはシルシスの支配者、ウマル・アブロネと、その抑圧的であった娘、ファイ王女に対する反乱を起こした[6] シルシスに勝利した後、 イブラヒムはスルタンを名乗り、「ゴブローン朝」を建国した。

ゲレディ・スルタン国はラハンウェイン氏族であった。であり、君主国はゲレディ支族の貴族に支配され、領土は内陸のジュバ川シェベリ川、そしてベナディール海岸を支配していた。ゲレディ・スルタン国は南アラビア諸国に朝貢を強要するほどの国力を持っていた[7]

ゲレディ内の貴族はオマル・アル=ディンの子孫であると主張している。オマルは他に3人の兄弟がおり、ファクルと、異なる名前、シャムス、ウムディ、アラヒ、アフメドの名が付けられている他の2人がいた。共に彼らは 「アファルタ・ティミド」「やってきた4人」と呼ばれ、これはアラビアに出自があることを示した。アラビアの出自を主張した理由は、正当性によるものだった[8]

官僚制度

ゲレディ・スルタン国は存在した間、その強力な中央集権制度を発揮し、官僚制、世襲貴族、貴族階級、課税制度、外交政策、国旗、常備軍など近代国家の全ての制度と要素を備えていた。[9][10] 偉大なゲレディ・スルタン国はその活動に関する文書記録も管理し、それらは今でも博物館に存在している[11]

ゲレディ・スルタン国の首都はアフゴーイにあり、ゲレディの支配者が居住していた。スルタン国は領内各地ルークバルデラ城砦など、 さまざまな建築様式のを多数保有していた[12]

ゲレディ・スルタン国の最盛期には現在のソマリアのすべての ディギル支族とミリフレ支族を支配していた。スルタン国をゲレディ連合と呼ぶこともある。連合はディギル支族とミリフレ支族にとどまらず、ビマール支族はシーハール支族、そしてワクダーン支族のような他のソマリも取り込み、間接的ながらも柔軟な行政を推進した。ゲレディの支配者たちは首長、イマーム、シェイク (宗教指導者), アヒヤール (有名な長老)などがスルタン国の運営に重要な役割を果たすことを許した。ゲレディの支配者はスルタン国の政治的頂点であるだけでなく、宗教的な指導者でもあると考えられていた[13]アヒヤールは殺人などの事件を和解させて解決し、裁定の後、アル=ファーティハを暗唱する長老であって、不正が行われた際は二つの異なる系譜のグループ間の双方のアヒヤールの間で「ゴーグル」と言う会議が開かれた[14]

スルタン・オスマン・アフメド (騎乗してる人物)とスルタンのマムルーク

スルタンは危害を加えようとする人物から身を守るため、武装した奴隷兵からなる護衛を常につけていた。「ウル・ハイ」はゲレディ支族の下位支族との仲介者となり、スルタンの指示を受けた[15] スルタンの権威の象徴はターバンであった。スルタンのターバンはアビーカロウ支族の長老によってスルタンに戴冠させた[16][1]

ゲレディ・スルタン国はスルタン国の特定の地域をスルタンの近親者に統治させ、その近親者が大きな権力を振るうと言う明確な権限移譲による政治も行った。 スルタン・アフメド・ユスフの治世は英国議会に以下のように評された。

ソマリ人のルフワイナという部族、ブラバとメルカ、そしてモガディシオの後背地に住むこの部族と他の部族の首長は後者の街から1日以内の行軍で到着するガルヘドに居住するアフメド・ユスフである。さらに2日内陸へと入った所にあるダフェルトは、アフメドの兄弟であるアウェカ・ハッジが統治する大きな町である。これらの町はルフワイナ族の主要な町である。マルカから4、5時間、または6時間ほどのところにゴルヴェーン(ゴルウェイン)、ブロ・マレールタ、そしてアドルモという町があり、統治者はアボボクル・ユスフであり、アフメドの兄弟であり、彼は名目上、最初に名前を挙げた首長の指揮下にあるが、アボボクル自身の勘定で税を徴収し、マルカやブラヴァの支配者の直接交渉した。アボボクルは2000人の兵士(奴隷が主体)と共にブロ・マレタに住んでいる。アボボクルがしばしば訪れているグルヴェーンとアドルモの町は、農作物や牛を育てるソマリ人が住んでおり、メルカとは大きな貿易をしている[17] スルタン・アフメド・ユスフの兄弟、アボボクル・ユスフは、バナディールの港湾群、ブラバとマルカの対岸の土地を管理し、ブラバからの貢物も受け取っていた。アボボクルはブラバに使者を送り貢物をもらうのが常であり、年間で2,000ドルを受け取っていた[17]

1880年代から第一次世界大戦までのアフリカ分割時代、ゲレディは北方を後にエチオピアの半独立した属国となるフワン、東方をホビョ・スルタン国とイタリアのベナディール、南方を英領東アフリカに囲まれていた[18][注釈 1]

経済

バラワはゲレディ・スルタン国の主要港であり、そしてイスラムの中心地であった

ゲレディ・スルタン国は広大な交易網を維持し、アラビアペルシアインド近東ヨーロッパと交易関係を持ち、東アフリカでの貿易を支配し、独自の通貨を鋳造し、地域大国として認識されていた。[19]

ゲレディの場合は、貴族たちやスルタンを富ませたのはシェベリ川ジュバ川の河谷を利用した市場開拓だけでなく、奴隷貿易や象牙、綿花、鉄、金などの貿易にもよるものだった。一般にゲレディでは牛、羊、ヤギ、ニワトリなどの家畜が飼育された[20]

19世紀初頭までにゴブローン朝は宗教的な威信を強大な政治的権力に変え、ますます中央集権的で富裕な国家となった。上に述べたように、ゲレディの富は肥沃な河岸の支配に基づくものであった。ゲレディは沿岸部の港から得られる奴隷の労働力を利用し、伝統的な牧畜と自給自足の農業への依存状態から、徐々にプランテーション農業と穀物、綿花、とうもろこし、ソルガム、バナナ、サトウキビ、トマト、スカッシュなどの様々な果物や野菜といった換金作物の栽培に経済基盤を移行させた。この地域は歴史的な隊商路が縦横に走り、河川での交易が海岸と内陸の市場を結びつけた[21] この時期にはアラビア市場のソマリアからの農産物の輸出は非常に大きく、南ソマリア沿岸はイエメンオマーンにとっての「穀物海岸」として知られるようになった[22]

スルタン国の首都であるアフゴーイは非常に富裕で巨大な都市だった。アフゴーイは製織製靴食卓用食器類の生産、宝石加工, 陶磁器の製産など産業も盛んであり、さまざまな製品を製造していた。アフゴーイは外国産の織物、砂糖、ナツメヤシ、銃器などと引き換えにダチョウの羽毛やヒョウの皮、アロエなどを運ぶ隊商の交わるところであった。アフゴーイの人々は肉やミルク、ギーのために様々な家畜を飼育していた。アフゴーイの農民は大量の果物や野菜を生産していた[23]

アフゴーイ商人はアフゴーイの富を誇り、特にその中でも最も裕福な人はこのように言い放った

Moordiinle iyo mereeyey iyo mooro lidow, maalki jeri keenow kuma moogi malabside. モールディーンレス、 メレーイェイ、リドウの富を全て持ってこい、私はほとんどそれを気にかけない[23]


  1. ^ ジャマ・オマル・イッサの査読に関しては、google scholarのリンクの「jaamac cumar ciise」と書かれたところの下にある113の査読を参照link.
  1. ^ a b Somali Sultanate: The Geledi City-state Over 150 Years - Virginia Luling (2002) Page 229
  2. ^ Mukhtar, Mohamed Haji (25 February 2003). Historical Dictionary of Somalia. p. xxix. ISBN 9780810866041. https://books.google.com/books?id=DPwOsOcNy5YC 2014年2月15日閲覧。 
  3. ^ a b Shillington, Kevin (2005). Encyclopedia of African History, Volume 2. Fitzroy Dearborn. p. 990. ISBN 9781579584542 
  4. ^ Marguerite, Ylvisaker (1978). “The Origins and Development of the Witu Sultanate”. The International Journal of African Historical Studies 11 (4): 669–688. doi:10.2307/217198. JSTOR 217198. https://www.jstor.org/stable/217198. 
  5. ^ The social structure of southern Somali tribes, Virginia Luling, pg. 204
  6. ^ Luling (1993), p.13.
  7. ^ Luling (2002), p.272.
  8. ^ Luling, Virginia (2002) (英語). Somali Sultanate: the Geledi city-state over 150 years. Transaction Publishers. ISBN 978-1-874209-98-0. https://books.google.com/books?id=s0Y_AQAAIAAJ&q=Geledi+afarta+timid 
  9. ^ Horn of Africa, Volume 15, Issues 1-4, (Horn of Africa Journal: 1997), p.130.
  10. ^ Michigan State University. African Studies Center, Northeast African studies, Volumes 11-12, (Michigan State University Press: 1989), p.32.
  11. ^ Sub-Saharan Africa Report, Issues 57-67. Foreign Broadcast Information Service. (1986). p. 34. https://books.google.com/books?id=8FlEAQAAIAAJ 
  12. ^ S. B. Miles, On the Neighbourhood of Bunder Marayah, Vol. 42, (Blackwell Publishing on behalf of The Royal Geographical Society (with the institute of British Geographers): 1872), p.61-63.
  13. ^ Mukhtar, Mohamed Haji (25 February 2003). Historical Dictionary of Somalia. p. 210. ISBN 9780810866041. https://books.google.com/books?id=DPwOsOcNy5YC 2014年2月15日閲覧。 
  14. ^ a b The social structure of southern Somali tribes, Virginia Luling, pg. 179
  15. ^ The social structure of southern Somali tribes, Virginia Luling, pg. 190
  16. ^ The social structure of southern Somali tribes, Virginia Luling, pg. 191
  17. ^ a b Great Britain, House of Commons (1876). Accounts and Papers volume 70. HM Stationery Office. p. 13 
  18. ^ Rayidow, poem 80 ; Diiwaanka gabayadii, 1856-1921, "Huwan oo dadkii Mililiq iyo amxaaro raacay ahaa, Adarina laga maamulayey"
  19. ^ Somali Sultanate: The Geledi City-state Over 150 Years - Virginia Luling (2002) Page 155
  20. ^ Nelson, Harold (1982). “The Society and its Environment”. Somalia, a Country Study. ISBN 9780844407753. https://books.google.com/books?id=aQCZwLAsGVYC&q=Somalia%2C+a+Country+Study%7Cchapter-url%3Dhttps%3A%2F%2Fbooks.google.co.uk%2Fbooks%3Fid%3DaQCZwLAsGVYC 
  21. ^ Mukhtar, Mohamed Haji (25 February 2003). Historical Dictionary of Somalia. p. 116. ISBN 9780810866041. https://books.google.com/books?id=DPwOsOcNy5YC 2020年10月23日閲覧。 
  22. ^ East Africa and the Indian Ocean By Edward A. Alpers pg 66
  23. ^ a b Mukhtar, Mohamed Haji (25 February 2003). Historical Dictionary of Somalia. p. 28. ISBN 9780810866041. https://books.google.com/books?id=DPwOsOcNy5YC 2020年10月23日閲覧。 
  24. ^ Transactions of the Bombay Geographical Society ..by Bombay Geographical Society pg.392
  25. ^ Reese, Scott Steven (1996). Patricians of the Benaadir: Islamic learning, commerce and Somali urban identity in the nineteenth century. University of Pennsylvania. pp. 179. https://books.google.com/books?id=UeuwAAAAIAAJ 
  26. ^ a b c Lewis, I.M (1996). Voice and Power. Routledge. p. 221. ISBN 9781135751746. https://books.google.com/books?id=_8D0gYZZVKEC&q=Voice+and+Power 
  27. ^ Henry Louis Gates, Africana: The Encyclopedia of the African and African American Experience, (Oxford University Press: 1999), p.1746
  28. ^ Bridget Anderson, World Directory of Minorities, (Minority Rights Group International: 1997), p. 456.
  29. ^ Catherine Lowe Besteman, Unraveling Somalia: Race, Class, and the Legacy of Slavery, (University of Pennsylvania Press: 1999), p. 116.
  30. ^ Catherine Lowe Besteman, Unraveling Somalia: Race, Class, and the Legacy of Slavery, (University of Pennsylvania Press: 1999), p. 82.
  31. ^ Campbell, Gwyn (2004). Abolition and Its Aftermath in the Indian Ocean Africa and Asia. Psychology Press. p. 121. ISBN 978-0203493021. https://books.google.com/books?id=kgeMpPUyt80C 
  32. ^ Njoku, Raphael (2013) (英語). The History of Somalia. Greenwood. ISBN 9780313378577. https://books.google.com/books?id=FlL2vE_qRQ8C&q=ancient+somali+civilization 
  33. ^ a b c d Mukhtar, Mohamed Haji (25 February 2003). Historical Dictionary of Somalia. p. 26. ISBN 9780810866041. https://books.google.com/books?id=DPwOsOcNy5YC 2014年2月15日閲覧。 
  34. ^ United Kingdom House of Commons (1968). Irish University Press Series of British Parliamentary Papers: Slave trade. Irish University Press. p. 475 
  35. ^ a b c Luling, Virginia (1996). “'The Law Then Was Not This Law': Past and Present in Extemporized Verse at a Southern Somali Festival”. African Languages and Cultures. Supplement No. 3 (3): 213–228. JSTOR 586663. https://www.jstor.org/stable/586663. 





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