オーバー・ダビング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 14:44 UTC 版)
歴史
録音・転写技術を駆使して、再生される演奏にユニークな特性を持たせようとする試み自体は古くから存在した。
古典的な事例として、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督による1937年のフランス映画『舞踏会の手帖(Un Carnet De Bal)』のテーマ曲『灰色のワルツ』(モーリス・ジョベール作曲)が挙げられる。ジョベールは楽譜を逆から演奏してレコードに録音し、このレコードを逆回転再生して、映画のサウンド・トラックに転写した。これにより通常の演奏ではあり得ない音の生じ方が実現され、回想の物語に相応しい幻想的な響きのメロディーを得ている。
だが、1940年代までの主たる録音手段は、音声を電気信号に変換して円盤の溝に記録する円盤録音(SPレコード)と音声を光に変換してフィルムに焼き付けるフィルム・サウンド・トラックのみで、直接編集ができない上、再利用も難しく録音メディアとしては高価なため録音ミスが許されないもので、ジョベールのように映画音楽録音などで大がかりな設備を利用できない限り、後述のテープレコーダー(磁気テープによる磁気録音)と違い編集の自由度はかなり低かった。
オーバー・ダビングが容易となった背景には、ドイツで発明された磁気テープと、それを運用するためのテープレコーダーが第二次世界大戦後に世界で普及し、やがてマルチ・トラック・レコーダーへと進化した事が大きな助けとなっている。録音のやり直しが容易で、タイミング合わせも簡易であることは、レコード盤録音に比べ大きな進歩であった。
マルチ・トラック・レコーダーによるオーバー・ダビングのテクニックは、エレクトリック・ギター演奏・開発の先駆者であるギタリストのレス・ポールが1940年代末期から用い始めたのが最初である。彼はマルチ・トラック・レコーディングの分野においても先駆者となる存在だった。
- ^ “岩谷時子が支えた「若大将ソング」”. ニッポン放送 NEWS ONLINE (2018年7月31日). 2020年1月12日閲覧。
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