エルンスト・フォン・グレーザーズフェルド エルンスト・フォン・グレーザーズフェルドの概要

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エルンスト・フォン・グレーザーズフェルド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/04 23:16 UTC 版)

エルンスト・フォン・グレーザーズフェルド
2008年、ウィーンにて。クリスティアン・ミヒェリデス英語版が撮影。
生誕 1917年3月8日
ドイツ ミュンヘン
死没 2010年11月12日
アメリカ合衆国 マサチューセッツ州 レバレット(Leverett)
国籍 ドイツアイルランドイタリアアメリカ合衆国
出身校 ウィーン大学、Lyceum Alpinum Zuoz
父 レオポルド(写真家)
受賞 アメリカサイバネティクス学会 ウォーレン・マッカローチ記念賞
栄誉

クラーゲンフルト大学名誉博士 オーストリア科学芸術勲章第1等級

インスブルック大学名誉博士
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生涯

フォン・グレーザーズフェルドは1917年3月8日にドイツ・ミュンヘンで生まれた。父のレオポルドはウィーンで文化アタッシェ英語版を務めた後、第一次世界大戦後に写真家となった。

フォン・グレーザーズフェルドはウィーン大学数学を専攻していたが、ナチスの脅威にさらされて、転居を余儀なくされた。それは、ナチスが「あらゆる形のナショナリズムの敵」とみなしていた汎ヨーロッパ主義(en:Pan-European identity)(リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの思想)を支持する家族がいたことと、祖父がユダヤ人(ただし、ローマ・カトリックに改宗していた)であったためである[1]。そのため、彼は生涯の大半をドイツ国外で過ごした。1940年代にはアイルランド、1950年代にはイタリアに住んでおり、シルヴィオ・チェッカート英語版と一緒に研究をしていた。その後、アメリカ合衆国に移住した。彼は、ジャンバッティスタ・ヴィーコジャン・ピアジェ発達的認識論英語版ジョージ・バークリーの知覚理論、ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』やその他の重要なテキストを研究し、それに基づいて精緻化した。また、これらの作家たちに共通するエートスとして「ラディカル構成主義英語版」のモデルを開発した。

2010年11月12日マサチューセッツ州フランクリン郡レバレット英語版で亡くなった。

インスブルック大学にはエルンスト・フォン・グレーザーズフェルド・アーカイブが設置されており、フォン・グレーザーズフェルドの著作を管理し、講演会を開催している。2017年にはフォン・グレーザーズフェルドの生誕100周年を記念して、インスブルック大学で国際会議"Radical Constructivism - Past, Present and Future"(ラディカル構成主義―過去・現在・未来)が開催された。

賞と栄誉

主な著作物

  • Glasersfeld, E. von, (2001) The radical constructivist view of science. In: A. Riegler (Ed.), Foundations of Science, special issue on "The Impact of Radical Constructivism on Science", vol.6, no. 1–3: 31–43.
  • Glasersfeld, E. von (1989). “Cognition, Construction of Knowledge and Teaching.” Synthese, 80(1),121-140.
  • Glasersfeld, E. von (1990). “Environment and Communication.” In L.P. Steffe & T. Wood (eds.), Transforming Children’s Mathematics Education: International Perspectives, (pp. 30–38). Hillsdale, NJ: Lawrence Erlbaum.
  • Glasersfeld, E. von (1992). “Questions and Answers About Radical Constructivism.” In M.K. Pearsall (ed.), Scope, Sequence, and Coordination of Secondary Schools Science, Vol. 11, Relevant Research, (pp. 169–182). Washington DC: NSTA.

  1. ^ Gisela Holfter & Horst Dickel, An Irish Sanctuary: German-speaking Refugees in Ireland 1933–1945, Walter de Gruyter GmbH & Co KG (2016), p. 94
  2. ^ Reply to a parliamentary question” (German). p. 1825. 2013年1月8日閲覧。


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