ウィル・ロジャース
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旅
ロジャースは1922年暮れに『投げ縄を滑らせて』と題する毎週のコラムを書き始めた[13]。既に気の利いた言葉について本を出版しており、ユーモアのある本の流れが着実に始まっていた[5]。1922年から1935年にかけて、マクノート・シンジケートのために一連のコラムを書き続けること、さらには自ら出演したりラジオ放送を通じることで、アメリカ大衆の愛情溢れる称賛を得、当時の問題や著名な人々、特に政治家をウィットに富んだ方法でからかっていた。党派に偏らない立場から文章を書いたので、大統領の友人や偉人に信頼される人になった。冷静な思考と暖かい人柄で愛され、アートマス・ウォードやマーク・トウェインの後継者と考えられることも多かった。ロジャースは観客の前で政治をユーモアで表現したことでは最初のエンタテナーではなかった。ブロードウェイのコメディアン、レイモンド・ヒッチコックやイギリスのハリー・ラウダー卿の方が数年先行していた。伝説的なボブ・ホープはロジャースの例に倣った最大の政治ユモリストである。
1925年から1928年、ロジャースはアメリカ合衆国を長くまた幅広く「講演旅行」に出た(「ユーモリストは楽しませ、講演者は悩ませる」と指摘することでその講演を始めた)。この期間、初期の航空郵便を運ぶパイロットと共に海岸から海岸まで飛んだ初めての市民となった。ナショナル記者クラブはロジャースのことを「アメリカ合衆国の全州大使」と呼んだ。アメリカ合衆国からのゲストとしてチャールズ・リンドバーグと共にメキシコシティを訪問した。このときの駐メキシコ大使ドワイト・モローの娘アンが後にリンドバーグと結婚した。その後、ロジャースは多くの晩餐後スピーチを行い、人気のある集会演説者となり、洪水、干魃あるいは自身の犠牲者に数多い慈善を行った。1932年、ロジャースはアメリカ合衆国大統領選挙に出馬した[14]。
1930年から1935年、ガルフ石油のためにラジオ放送を行った。毎週日曜夕方のこのショー、「ガルフ・ヘッドライナーズ」は全国でもトップクラスのラジオ番組にランクされた[15]。ロジャースはそのスタジオの観客に反応して1つの話題から次の話題へと簡単に移り渡るので、初期の放送では制限時間の30分を越えてしまうことが多く、中間部分が省略された。これを正すために手巻き目覚まし時計を持ち込み、放送中の警告音でそのコメントを纏め始めるようになった。1935年までにロジャースのショーは「ウィル・ロジャース・とその有名な目覚まし時計」という題で放送されるようになった。
1931年に東洋に、翌年には中央アメリカと南アメリカに旅した。1934年、ロジャースは世界一周旅行を行いユージン・オニールの劇作『おー、荒野!』で主役を演じるために戻ってきた。ロジャースは一時的にフォックスからMGMに期限付き移籍し、1935年のこの戯曲の映画版に出演した。しかし、ロジャースの配役とその息子との間の「人生の真実」に関する会話についてファンの反応を心配してその役を辞退させることになり、スケジュールを解約してその夏、ウィリー・ポストと飛行機で飛ぶことになった。
1934年、ロジャースはロサンジェルスのアンバサダーホテルのフィエスタ・ルームで開催された第6回アカデミー賞授賞式を司会した。同じ頃、『ウィル・ロジャースが言っている』と呼ぶ人気があり全国紙に出る短編を書き始めてもいた。毎日のニュースに関して構成する文字通り電報が、契約新聞の第一面を飾ることも多かった。ロジャースは「私はどの党派にも属さないが、民主主義者だ」といって民主党員であることを確認し、フランクリン・ルーズベルトを声高に支持する者だった。ある時には民主党がロジャースの大きな人気からの恩恵を期待して、オクラホマ州知事選にでないかという打診もあった。
- ^ a b Curtis, Gene (2007年6月5日). “Only in Oklahoma: Rogers statue unveiling filled U.S. Capitol”. Tulsa World 2007年7月21日閲覧。
- ^ a b c "RSU and Will Rogers Museum to Discuss Possible Merger" (Press release). Rogers State University. 18 April 2007. 2007年7月20日閲覧。
- ^ a b c Schlachtenhaufen|, Mark, Will Rogers grandson carries on tradition of family service, OkInsider.com, Oklahoma Publishing Company, 2007-05-31
- ^ a b Yagoda, Ben. Will Rogers: A Biography. Norman: University of Oklahoma Press, 1993: 8.
- ^ a b c d “Adventure Marked Life of Humorist”. The New York Times (1935年8月17日). 2007年7月20日閲覧。
- ^ Carter, Joseph H. and Larry Gatlin. The Quotable Will Rogers." Layton, Utah: Gibbs Smith, Publisher, 2005:20.
- ^ Ferguson, Deborah, Ferguson's Family Tree & Branches, RootsWeb, 2003-01-10
- ^ "Origin of County Names in Oklahoma." Oklahoma History Society's Chronicles of Oklahoma. 2:1, March 1924 (retrieved 18 Jan 09)
- ^ a b c “Chewing Gum and Rope in the Temple”. The New York Times: p. 90. (1915年10月3日)
- ^ Ben Yagoda, Will Rogers: A Biography, p 56, 2000, University of Oklahoma Press, ISBN 978-0806132389
- ^ “Give A Thought To Will”. The New York Times: p. 13. (1922年11月13日)
- ^ “Written On The Screen”. The New York Times: p. 50. (1919年6月8日)
- ^ Rogers, Will (1922年12月31日). “Slipping the Lariat Over (December 31, 1922)”. The New York Times
- ^ Beam, Christopher; Chadwick Matlin (2007年10月23日). “Will Rogers: The Stephen Colbert of his time.”. Slate. 2009年8月26日閲覧。
- ^ “Will Rogers: Radio Pundit”. Will Rogers Memorial Museums <http://www.willrogers.com> (2008年3月31日). 2009年8月26日閲覧。
- ^ “Police Dept., police explorers strolls through the streets of the U.S. Capitol, stops for visits”. The Anderson Independent-Mail. (2007年7月18日) 2007年7月20日閲覧。
- ^ “Oklahoma Memorial Union - Will Rogers Room”. Union.ou.edu. 2009年8月14日閲覧。
- ^ Internet Movie Database entry for Mrs. Parker and the Vicious Circle
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