アレクサンドロフスク・サハリンスキー 交通

アレクサンドロフスク・サハリンスキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/27 07:19 UTC 版)

交通

内陸部への交通は、車かバスによる。

最寄りの鉄道駅はティモフスク駅で、アレクサンドロフ・サハリンスキー市街から東へ、西樺太山脈の北部を越える国道があり、バスの便で結ばれている。所要時間は、車で1時間30分、バスで2時間程度である。また、ユジノサハリンスク駅前のバスターミナルから504番のバスでアクセスすることもできる。

2020年11月、空港が開港した[4]

名所旧跡等

歴史・文学博物館 “チェーホフとサハリン”
「歴史・文学博物館 “チェーホフとサハリン”」( Историко-Литературный Музей “А.П.Чехов и Сахалин”)は、アントン・チェーホフ生誕100周年を記念し、1990年9月に開館した[5]。木造平屋建ての建物は、元流刑囚・ランズベルクの住居兼店舗を改修したもので、チェーホフが実際に訪れたことがある。
館内には、チェーホフの調査の成果である『サハリン島』の初版、滞在中に親類に打った自筆の電報(古い郵便局を解体中に偶然発見された)、旅行中に使用したスプーン、ティーカップ、バッグなど身の回り品、囚人たちが炭鉱内で作業する様子を描いた絵画などを展示、チェーホフの業績や流刑囚の実態を紹介している。日本関連では、コルサコフ(大泊)でチェーホフと日本の領事館員が酒を酌み交わす写真がある。
休館は土日曜(原則)。カメラ撮影の場合、入館料のほか撮影料が必要。
三人兄弟の岩
三人兄弟の岩
郊外の岬付近にそびえ立つ3つの岩のこと。3つの岩が直線状に並んで海上にそびえる姿から、「三人兄弟の岩」(Скалы "Три Брата")と呼ばれている。アントン・チェーホフの『サハリン島』でも描写されている。
中央広場
元は刑務所の運動場だった。囚人たちの慰霊碑レーニン像がある。

脚注


  1. ^ アヴィアシェリフ社就航のニュース - Sakh.com. 2020年12月30日配信、2021年3月11日閲覧。
  2. ^ チェーホフ『サハリン島 上巻』岩波文庫、1988年、P.111頁。 
  3. ^ a b 「嘉子・杉本抑留されソ聯領内に生存 国境監視所から近くア港へ」、朝日新聞1938年1月9日、『朝日新聞一〇〇年の記事にみる(1)恋愛と結婚』、朝日新聞社、1975年2月1日、pp239-240所収。見出しでは「ア港」だが、本文中に「亜港」の記述がある。
  4. ^ Рейсы в Александровск-Сахалинский и Зональное должны запустить до конца года(Sakhlininfo) アレクサンドロフスク・サハリンスキー空港とゾナリノエ空港のタイガ航空就航記事 2020年11月14日閲覧。
  5. ^ 徳田耕一の『サハリン-鉄路1000キロを行く-』(1995年、p.46)及び『サハリン・カムチャツカ』(2007年、p.45)より。しかし、チェーホフの生誕は1860年であり、計算が合わない。






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