Vツイン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 09:30 UTC 版)
1970年代初頭、モト・モリーニはフランコ・ランベルティーニ設計、フランコとGino Marchesiniが製作した72度Vツインモデルを発表した。『Strada』や『Sport』などのブランドで発売されたこのオートバイは、144kgの軽量ながら350cc(実質344cc)の排気量を誇り、25mmVBHデロルトキャブレターが採用された。1977年にはVツイン500cc(実勢479cc)6段変速のモデルを発売した。これらは全てヘロンヘッド、鍛鉄成形クランクシャフト、ボールメインベアリング、大型平軸受け、ピン駆動コンロッド、前後のシリンダーを50mmずらしたオフセットレイアウトなどを搭載した。これらには、キックスタートタイプとセルモータータイプがそれぞれ用意された。鋼鉄製のデュプレックスフレームにマルゾッキ社のフロントフォークとチェリアーニ社のリア・サスペンションをそれぞれ取り付けられた。ブレーキは当初こそドラム式だったが、後にグリメカ社製の260mm径ディスク・ブレーキに換装された。 1981年11月、ミラン・ショーで500ccターボが発表された。84hp/8300rpmを発生するエンジンは量産されなかったが、耐久モデルとして『Camel 500』が、さらに1983年には『Kanguro 350』が発売された。1986年にはクルーズ仕様の『Excalibur』が350ccと500cc二つのタイプで発売された。ハーレーダビッドソンはモト・モリーニのV型エンジンに興味を持ち、小排気量モデルでの使用を検討したが、この計画はモト・モリーニの財政問題が浮かび上がったために頓挫した。 モジュール式設計がされていた350ccエンジンは、単気筒への改造も容易であった。1975年には125H、1978年には250Tがそれぞれ発売された。これらは、Vツインの後ろ側のシリンダーを単純に外したような外見をしていた。これら単気筒オートバイは商業的には成功しなかったが、1985年にはKJ125が販売された。 1980年代に入るとモト・モリーニは販売台数減少と激しい労働争議に疲弊し、業績が悪化した。1987年2月18日、嫌気が差したガブリエラ・モリーニは工場をカジバに売却し、経営から退いた。こうしてドゥカティやハスクバーナを買収しオートバイ界で急速に勢いを増していたカジバは、モト・モリーニをも傘下に収めた。
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