SYSTEM11誕生の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 08:47 UTC 版)
「SYSTEM11」の記事における「SYSTEM11誕生の経緯」の解説
1990年初頭のナムコは小型機のシェアで伸び悩んでいた。大型機と専用筐体は、高パフォーマンスなSYSTEM21とSYSTEM22基板が得意とする当時業界としてはまだ珍しい部類だった3Dポリゴン描画を採用した体感ゲームや、SYSTEM IIなどを採用したスプライトとドット絵を活かして2Dながらも立体的に見せる擬似3Dの体感ゲームが一定の評価を得ていたため、それなりのシェアで支えられていたものの、小型機と汎用筐体向けの作品が芳しくなかった。ナムコはかつて1980年代に小型機の輝かしい全盛期を迎えていたため、特に歯がゆい思いをしていた。前述の通りSYSTEM21,22作品で3Dに強みを持っていたナムコは、小型機用にもローコストの3Dボードを開発することが、この状況を打破するための急務であった。 そんな折、1993年秋のある新聞にソニーの新チップの記事が載っているのをナムコの中村繁一常務(当時)が見つける。これはと思った中村常務が、当時付き合いのあったソニーの久多良木健にコンタクトを取ると、「見て欲しいものがある」と言われ、プレイステーション(当時はPSX)構想と開発中のデモンストレーション映像を見せられる。 家庭用でこれだけのスペックを見せつけられた中村常務は、これこそが念願のローコストの業務用3Dボードへ繋がるものであると確信し、ソニーに対して技術協力をする代わりにアーキテクチャーの業務用への転用を許諾して欲しいという約束を取り付ける。かくしてソニーとの共同開発でプレイステーションをベースとした新型業務用ボードが誕生した。 SYSTEM11の名付け親は当時のナムコ研究部課長の小川徹である。単純にSYSTEM22の半分程度の性能なのでSYSTEM11とのことであった。
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