IOCの決議
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「国際女子スポーツ連盟」の記事における「IOCの決議」の解説
女子陸上競技に対するIOCの決議には進展が見られず、FSFIは態度を硬化させてゆく。 1929年 4月8日、第27次IOC総会が開かれる。すべての女子競技をオリンピックから除外するかどうかが議事となるが、意見が分かれたためIOC理事会が国際競技連盟(IF)を交えて協議することが決定。 7月23日、IOC理事会が開かれる。その結果、女子競技として体操・水泳・テニス・スケートがオリンピック大会種目として承認される。この決定に対し、IAAFのアメリカ代表が女子の参加が認められない場合、次回のオリンピックにおいて男子陸上競技をボイコットするという強硬な反対を行った。 1930年 5月22日、第28次IOC総会がベルリンで開かれる。女子競技については議事なし。 5月25日、第9回オリンピック会議がベルリンで開かれる。IOC委員の他各国オリンピック委員、IF代表者が集まり再度女子競技の取り扱いについて審議を行った。その結果女子の参加については「変更は行われず、維持されること」になったが、IOC会長バイエ・ラトゥールの「大会への女子の参加は、体操・水泳・テニス・スケートのような美的種目だけにするのが望ましい」とする提言も盛り込まれた。 9月6日、第3回国際女子競技大会がプラハで開幕。人見絹枝は個人2位となる。 1931年 4月25日、第29次IOC総会がバルセロナで開かれる。大会に採用する女子競技について投票が行われ、スケート・体操・水泳については全会一致で・フェンシングが賛成17・反対2で、陸上競技が賛成16・反対3でそれぞれ承認された。 1932年 7月28日、第30次IOC総会がロサンゼルスで開かれる。女子競技については議事なし。 7月30日、ロサンゼルスオリンピックが開幕。女子の参加が認められた競技は陸上競技・ダイビング・フェンシング・水泳。女子陸上競技の採用種目は100m、80mハードル、400mリレー、走高跳、円盤投、やり投。800m以上の長距離種目は採用されなかった。日本からは9人の女性が出場した。 8月8日、第11次IAAF総会がロサンゼルスで開かれる。FSFIが再度女子陸上競技を10種目に拡大するよう要求。受け入れられない場合女子陸上競技を全面的に廃止することを希望するが、どちらの要求も承認されなかった。 1933年 6月7日、第31次IOC総会がウィーンで開かれる。女子競技については議事なし。 1934年 4月25日、第32次IOC総会がアテネで開かれる。大会に採用する女子競技について投票が行われ、スケート・フェンシング・水泳については全会一致で、陸上競技が賛成11・反対9で、スキーが賛成9・反対8でそれぞれ承認された。 8月9日、第4回国際女子競技大会がロンドンで開幕。
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