B&B (お笑いコンビ)
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B&B(ビー アンド ビー)は、日本の漫才コンビ。広島県広島市出身の島田洋七(しまだ ようしち、1950年2月10日 - )が、相方を4度変えたコンビ名である[1]。本稿は特に岡山県笠岡市出身の島田洋八(しまだ ようはち、1950年2月13日 - )と組んだ三代目B&B[1]について詳述している。このコンビの東京進出が漫才ブームを誘発・点火させた[出典 1][注釈 1]。
注釈
- ^ 『サンデー毎日』1980年10月5日号「大特集秋の新番組を彩る『100人の顔』」という記事の「笑ってる場合ですよ!」B&Bの紹介に「『ヒロシマー』、『オカヤマー』のギャグで東京進出、一大旋風を起こす」と書かれている(149頁)。また、『近代映画』(近代映画社)1981年5月号「B&B笑いも歌も大ヒット! 歌ってノッテくるとアリスの気分ですワ!」というB&Bのインタビュー記事では「80年後半から81年にかけて、“ザ・マンザイ”お笑いブームが全国に吹きあれて“ぼんち”“B&B”“ツービート”等、数多くの人気者を生み出しましたが、そのブームの発火点でもあり、中心核でもある“B&B”のおふたりにインタビュー」と書かれている(149頁)。同じ『近代映画』1981年8月号の「高島秀武のヒゲタケ対談 ᗺ&B言いたい事をワーワー言うのが原動力でんな」という記事では「機関銃のように面白いギャクをつぎつぎと放って、ステージを右から左へフルに動きまわって、エネルギッシュなお笑いを爆発させるB&Bの洋七、洋八さんコンビ。お笑いブームを巻きおこしたおふたりだけに超売れっ子の過密スケジュールをぬって、ヒゲタケさん対談のゲストにおむかえしましたが、ステージそのままのニギヤカな素顔をポンポンととびださせて、疲れも感じさせないお笑いの元祖ぶりでした」と紹介されている(150頁)。また『別冊宝島special 昭和発掘 黄金の時代、再び 秘蔵写真と証言で蘇る、昭和メモリー』2017年、宝島社では「昭和の終わりに沸き起こった『漫才ブーム』。その先頭をぶっちぎりで駆け抜けたのがB&Bだ。絶頂期は短かったが、女子中高生をとりこにしたコンビはプロ野球最高年俸をはるかにしのぐ稼ぎを叩き出した」と小見出しで紹介している。
- ^ 洋七が公言しているものの、初代B&Bの結成時点ではまだ浮世亭ケンケン・てるてるのコンビは存在しておらず(ケンケン・てるてるの結成は1974年)、洋七の誤認か記憶が混同している可能性が高い。ちなみに素人だった洋八とコンビを組み直した頃には、「ケンケン・てるてる」は芸人仲間からは一目置かれた存在だった。当時の相方である萩原芳樹も自分のブログでこの点を指摘しており、萩原は当時相方に参考として見せたのは同じ国分健二が別の相方と組んでいた浮世亭ケンボー・ヒロボーだったと壊述している[21]。
- ^ 洋七が自著で記しているものの、洋七がNHK上方漫才コンクールで最優秀話術賞を受賞したのは1974年であり、相方は後述する上方真一(現・上方よしお)であった。これも洋七の誤認か記憶が混同している可能性が高い。
- ^ 吉本が東京事務所を設置したのは1980年10月。かつては東京に演芸場を持っていたが撤退していた[54]。社員は木村政雄と当時若手だった大﨑洋の二人でスタートした[出典 24]。
- ^ 独力で所属先を決めることが出来ず、結局吉本の木村政雄に紹介してもらった戸崎事務所とマネジメント契約を結ぶ[出典 27]。東京の漫才協団にすんなり加入できたのはこのため[出典 28]。木村政雄は「彼らはまだ、会社として問題になるほどのタレントでもなかった」と述べている[59]。
- ^ 漫才ブームが爆発した1980年8月、週刊朝日は“MANZAIはどこかた来たか”というB&Bら当時の若手の漫才についての考察を載せている。要旨は以下のようなもの。やすしきよしが登場したとき、そのあふれるようなスピード感と生活実感にびっくりしたが(今の若手の漫才)は、スピードがさらに速い。ストーリーもない。会話すらなくて、一方的なギャグの連発。相棒は合いの手を入れるだけ。そのギャグにしても観客全体を相手にしてはいなくて、わかるヤツにはわかる、わからんヤツにはわからなくていい。むしろわからんでくれればウレシイ、といわんばかりのポーズである。少なくとも、いまの漫才ブームの先頭を走るコンビたちは、これまでの漫才から遠く隔たっているようにみえる。「ヤングおー!おー!」の浜本忠義は「いまの漫才を、これまでの漫才の流の中に位置づけるのは難しい」。読売テレビの有川寛は「かつて漫才は"庶民"を相手にしていた。漫才師がアホになって、客を満足させていたんです。しかし、いまや"庶民"はいない。みんな中産階級になってしまった。漫才は長くその変化に追いつけなかったけど、ここへ来て急激に変わったということでしょう」と話す。また、驚くべきは、昨今の漫才における「言論の自由」の拡大である。その成果は大変なものがある。それまで「差別」に対する批判コワさに、われわれはどれほどびくびくとモノを書いていたか。テレビ局はどれほど神経をとがらせていたか。若手漫才師たちがあっという間に成し遂げた偉業、無謀について深い感慨を持つ。それでも笑って済むのはなぜか。差別も罵倒も、極限までいくとむしろ抽象化されて、アッケラカンとしたホンネの笑いしか残らないのだろうか。古川嘉一郎は「芸といえば、それが一種の芸でしょうね。言葉が一種符丁化されて、ナマナマしい意味を持たなくなっている。きわどい芸です」と話す。今はギャグの時代。ジャリ文化はギャグ漬けになっている[88]。
- ^ 『メントレG』(2007年12月16日放送)は「ツービートとともに漫才ブームを引き起こす」と紹介。
- ^ レギュラー週19本は、ブーム最盛期の1981年8月の『近代映画』(近代映画社)8月号のインタビュー「高島秀武のヒゲタケ対談」でも洋七が話しており、テレビ・ラジオのレギュラーが週19本、その他単発も入ってきて、その19本を月曜から金曜までに撮る。土、日曜は地方営業と話している(150-153頁)。
- ^ 似た内容の記述[124]。
- ^ 似た内容が、島田紳助の著書『自己プロデュース力』ワニブックス、2009年、p49-56に記述。
- ^ もみじ饅頭は厳島参詣の人たち限定の宮島みやげであった[160]。
- ^ 洋七はこれを"パクパク"と表現し『近代映画』は"テープに口をあわせているだけ"と注釈[173]。
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