レオナルド熊
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レオナルド 熊(レオナルドくま、本名:井上 千蔵 (いのうえ せんぞう)、1935年〈昭和10年〉6月27日 - 1994年〈平成6年〉12月11日)は、日本のコメディアン・俳優。石倉三郎と組んだコントコンビ「ラッキーパンチ」「コント・レオナルド」で人気を博した。
注釈
- ^ 更に同じ時期に当時の妻とは別れる事になってしまったため、生活保護を受給していた時期もあった。
- ^ 石倉は「ラッキーパンチ」(1979年 〜 1980年)の1年弱と、二代目「コント・レオナルド」(1981年 〜 1985年)の4年間熊と一緒であったため、合わせて5年間コンビで活躍したことになる。
- ^ 本名の城後光義名義で、熊の弟子を務めていたこともあった。
- ^ テレビへ出演する為の便宜上の関係でポール牧の門下入りをし、その際に「ラッキー熊」を命名されている。
- ^ 相方の石倉の話によると「熊は持病の結核でしょっちゅう倒れるんですよ。その度に飯が食べれなくて疲れちゃいましてね」と語っている。コンビ解散の際に熊は「あんた、このままだと死んじゃうぜ? もうやめなよ。俺もやめるわ」と話したという。
- ^ 石倉三郎とコンビを再結成した1981年当時、熊は既に46歳で芸歴をはじめ下積みも豊富なベテランであり、2人との掛け合いも絶妙であった。
- ^ 熊は石倉に許可無く別の弟子を相方にして「コント・レオナルド」名義で内職営業をして私物化したり、さらに石倉に断りも無く割りを多く取っていた。こういう行動が明るみに出て来て石倉は、熊に対して不信感や険悪感を抱く様になった。
- ^ コンビ解消後、熊は単独でコメディアン・俳優業を継続した。石倉も俳優・タレントとして現在も活躍中である。
- ^ 主な劇団員にはピンクの電話、デンジャラス、菅原大吉、磯野貴理子、近藤芳正、田根楽子などがいる。
- ^ 再婚をした妻と副業を始めたり、元々病弱であるという体調理由もあった。
- ^ 当番組の人気コーナーであった「各駅停車路線バスの旅」の3代目レポーターをミスターちんと共に担当していた。
- ^ ラッキー熊名義で出演。
- ^ コントレオナルドとして出演。
- ^ コント・レオナルドとして出演。
- ^ レオナルド熊が主演した。
- ^ 高見知佳、藤島親方(元大関・貴ノ花利彰)と共演。
- ^ 伊藤つかさと共演。
- ^ 相方の石倉三郎と共演したものもあった。
- ^ 1994年に急逝後の翌年、当時子役で活動していた長男の小熊がイメージキャラクターを引き継いだ。
出典
- 1 レオナルド熊とは
- 2 レオナルド熊の概要
- 3 人物と芸風
- 4 弟子
- 5 CM
固有名詞の分類
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