ASEANの台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 03:47 UTC 版)
ASEANは1967年8月、反共産主義の立場をとる東南アジア5カ国、シンガポール・インドネシア・フィリピン・タイ・マレーシアによって結成された。当時は経済的な相互依存関係は殆ど無いASEANであったが、1971年の東南アジア平和・自由・中立地帯宣言(ZOPFAN)、1976年のASEAN協和宣言・東南アジア友好協力条約(TAC) に象徴される強靭な結束力によって政治的主体性を確立し、国際社会における存在感を増していった。1984年にはブルネイが加盟し、その後も1995年ベトナム、1997年ラオスとミャンマー、1999年にカンボジアが新たに加盟、10カ国体制によって東南アジアのほぼ全域をカバーする現在の地域統合体へと発展を遂げた。とりわけミャンマーとカンボジアの加盟に関しては、強圧的な政権の下、民主化の進まない両国の加盟に反対する米国と、両国を支援する中国の対立の中、ASEANが条件付ながら両国の受け入れを示した事で、国際社会に対しその姿勢の変化を見せ付ける結果に繋がった。 また1997年12月の非公式首脳会議では、経済のみならず政治・安全保障・社会・文化といった面でも統合を深化させるASEAN共同体を2020年までに実現させる事を目指すASEANビジョン2020を採択しており、1998年12月にはハノイ行動計画で経済統合の促進が、2004年11月にはビエンチャン行動プログラムで域内格差の是正や地域競争力の強化に関する協力的枠組みASEAN統合イニシアティブ(IAI)が、それぞれ設定された。また、2003年10月の首脳会議では、ASEAN安全保障共同体(ASC)、ASEAN経済共同体(AEC)、ASEAN社会・文化共同体(ASCC)の3つの共同体形成を通じてASEAN共同体の実現を目指す第二ASEAN共和宣言を採択し、2007年1月の首脳会議では2020年としていた従来の予定を5年早め、2015年に実現させるセブ宣言を採択した。共同体形成に背景には、中国やインドなど近隣諸国の台頭によるASEANの存在感の低下への危機感があるが、セブ宣言では2007年11月予定に予定されるASEAN共同体の最高規範ASEAN憲章の制定や対テロ協定の締結、域内の移民労働者の権利保護をも謳っており、これによりASEANの結束力は一層強固なものになると考えられている。 結束力と共にASEANの特徴として挙げられるのが、域外諸国との協力関係の強化と、それにむけたリーダーシップである。APEC設立後に積極的な役割を果たした事のみならず、これまでASEANの呼び掛けにより1993年のASEAN拡大外相会議や1994年のASEAN地域フォーラム(ARF)、1996年のアジア欧州会合(ASEM)を開催するなどしてきた。
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