2011年エジプト革命で英雄となる
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「ワエル・ゴニム」の記事における「2011年エジプト革命で英雄となる」の解説
詳細は「2011年エジプト騒乱」を参照 2011年1月、ワエルは個人的理由としてGoogleにエジプトへ戻ることを告げ、社会不安の最中にあるエジプトへの到着後、1月27日に行方不明になった。彼の家族が、アル=アラビーヤや他の国際メディアで彼が行方不明になったと発言した。Googleもまた、彼が行方不明になったことを公式に声明した。クリス・ディボーナ(英語版)やハビーブ・ハッダド(英語版)といった多くのブロガーが彼の居場所を探す運動を行った。2月5日、エジプトの反政府有力者であるムスタファ・エルナガーはワエル・ゴニムは、当局に拘束されているが生きており、数時間以内に釈放されると発表した。2月6日、アムネスティ・インターナショナルはエジプト当局に彼の居場所の公開と釈放を要求する声明を出した。 ワエルは11日間の拘束後、2月7日に釈放された。その際に「我々は要求を止めてはならない。これは新たなる政権の出発点だ」と発言し、デモ参加者の大歓迎を受けた。ワエルは、エジプトのドリームTVで放送されているモナ・エルシャズリー(英語版)司会の番組「10:00pm」に出演した。インタビューではデモ参加者を賞賛しながらも、死んだデモ参加者の名前を写真付きで司会者が読み上げた時、ワエルは悲しさのあまり号泣、カメラの映らない場所に退避したときは司会者もフォローした。また、同じインタビューでデモ参加者にムバラク退陣を自分以上に求めることを促したと発言。ムバラク政権を再度「くず」と表現した。[訳語疑問点]また、エジプトのために尽くすとともに妻の実家があるアメリカ合衆国に出国することは決して無いと断言した。 2月9日、ワエルはタハリール広場の群衆に対して講演を行った。反政府デモ参加者に「これは一個人のためでも政党のためでも運動のための時間でもない。『エジプトは一つ』と我々が声を挙げるための時間だ」と発言した。
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