2代時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 09:10 UTC 版)
1979年(昭和54年)9月場所限りで現役引退した立浪部屋(元関脇・羽黒山)所属の大関・旭國は、年寄・2代大島を襲名し立浪部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、1980年(昭和55年)1月に分家独立して大島部屋を創設、同年3月場所に新弟子約10人でスタートした。 2代大島は、第63代横綱・旭富士や小結・旭道山をはじめ一代で多くの関取を育て、部屋は立浪一門の中核的な存在となった。また、1992年(平成4年)には、モンゴルから6人の新弟子を迎え入れ、現在まで続くモンゴル人力士の隆盛の先駆けとなった。その中からは、旭鷲山が小結に、旭天鵬が関脇にまで昇進した。 1996年(平成8年)には、小結・旭道山が第41回衆議院議員総選挙に現役力士として出馬(新進党・近畿比例代表)して当選し、代議士となって力士を廃業した。小結・旭鷲山も現役を引退した後、2008年6月にモンゴルの国会議員になった。 1983年(昭和58年)3月場所の旭富士の新入幕以来、幕内力士を絶やしたことがなかったが、2007年(平成19年)5月場所前に旭天鵬が協会の禁じている力士の自動車運転によって人身事故を起こしたことで同場所を出場停止となり、翌7月場所で十両へ陥落したことで、部屋の幕内力士連続在位が途絶えた。 2012年(平成24年)、2代大島は65歳となったため、誕生日前日の4月24日限りで日本相撲協会を停年(定年)退職した。2代大島の停年に当たっては、2007年(平成19年)に日本国籍を取得していた旭天鵬が引退して部屋を継承することで大島部屋を存続させる計画もあったが、旭天鵬は現役続行を希望していたため、結局4月24日付で大島部屋は閉鎖されることになった。
※この「2代時代」の解説は、「大島部屋」の解説の一部です。
「2代時代」を含む「大島部屋」の記事については、「大島部屋」の概要を参照ください。
- 2代時代のページへのリンク