1998年・キャバレー放火事件とは? わかりやすく解説

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1998年・キャバレー放火事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 17:00 UTC 版)

館山市一家4人放火殺人事件」の記事における「1998年・キャバレー放火事件」の解説

千葉県館山市北条2557番地17号事件現場キャバレークリフサイド所在地加害者T本事件から6年前の1998年平成10年2月11日未明千葉県館山市北条キャバレー放火し全焼させ、住み込み働いていた従業員男性事件当時65歳)を焼死させる放火事件起こした事件前日1998年2月10日夕方、Tは仕事終えてパチンコなどをした後、自車で東日本旅客鉄道JR東日本内房線館山駅西側広がる歓楽街「渚銀座」へ出かけ、スナック3軒で飲酒した。翌11日4時30分ごろ、Tは3件目のスナック出て自車を駐車してあった駐車場まで向かう途中で「渚銀座」の一角にあった事件現場キャバレークリフサイド」(当時千葉県館山市北条2557番地17号所在)を見つけ、店舗建物物置の間にあった通路物置側壁接する形で新聞紙の束が置かれていることに気付き、火を点けて憂さ晴らそう考えた。Tは客としてそれ以前数回クリフサイド」へ行ったことはあったが、事件当日は同店では飲酒していなかった。 なお同店は出火直前4時ごろに閉店し店内に客はいなかったが、2階住居部分で住み込み従業員男性就寝していた。焼死した従業員男性は「穏やかで腰の低い真面目な人」として知られており、経営者とは30年来の付き合いで、1983年昭和58年)の開店時から住み込み働いていた。出火前夜は店が繁盛していたことから閉店後に経営者とともに夜食食べつつ「忙しくてよかった」とねぎらい合っていたが、2階居室移って就寝した1時間後に発生した火災帰らぬ人となった。 Tは1998年2月11日4時40分ごろ、キャバレー経営者保有居住していた店舗住宅鉄骨一部木造2階建て、スレート及びアルミニウム板・鉄板葺き、総床面積345平方メートル〈㎡〉)を「人が住んでいたり中にいたりはしない」と誤信した上で放火することを企て店舗住宅とその南西側物置木造トタン葺き平屋建て床面積10㎡)との間に置かれていた新聞紙持っていたライター点火して放火し、その火を店舗住宅物置燃え移らせたことで店舗住宅外壁など約109㎡を焼損させ、現に人が住居使用せずかつ現に人がいなかった物置全焼焼損させた(非現住建造物等放火罪)。当時犠牲となった従業員男性飼い猫出入りしすいよう裏口から居室までの扉3つ開けていたため、火・煙が一気に回ることとなった同日4時50分ごろに近く通りかかった人が同店付近明るくなっていることに異変感じて火災発見し119番通報受けて出動した消防車12台(安房郡市消防本部)が消火活動当たったが、消火後に焼け跡2階住居部ベッドうつぶせ倒れた住み込み従業員男性焼死体発見された。周囲火の気がなかったため館山警察署千葉県警察)は「放火可能性が強い」と推測して捜査し関係者たちからの事情聴取で店に強い恨みを持つ者の存在などを調べたほか、消防とともに出火原因調べたが、後にTが自供するまで約6年にわたり未解決事件となっており、近隣住民の間では「煙草の火の不始末原因ではないか?」という噂も立っていた。 同事直後、Tは再び「渚銀座」で飲酒した際に他の客の会話から「『クリフサイド』の放火事件により従業員死亡した」と知って衝撃を受け、それ以降しばらくの間は「渚銀座」での飲酒控えとともに罪悪感駆られて放火行為もやめた。しかしやがて同放火事件について自分嫌疑かけられている様子なかったことに加え放火事件で人を死亡させたことなどへの罪悪感次第薄らいでいた一方自己の勤務先経済状況対する不満・悩みなどは解消されずかえって鬱憤が強まる一方だったため、しばらくすると「渚銀座」での飲酒再開し、数か月後には憂さ晴らしのため再び以前同様の放火を行うようになった。 Tは後にA宅などを放火し逮捕された際、「これまで記憶残っているだけでも計約20件の放火をした」と自供したが、その中には本事件2003年12月事件)および起訴され事件以外にも以下のような事件含まれていた(いずれも立件はされていない)。 「クリフサイド」の向かいにあった特殊浴場への放火事件 A宅放火事件からちょう5年前1998年12月18日2時55分ごろ、館山市那古698番地工場倉庫から出火してプレハブ2階建て工場倉庫825㎡が全焼した火災。この電球工場はTが以前勤務していた工場で、火の気がない場所からの出火だったため館山署・消防不審火として出火原因調べていた。

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