1996年 - 1998年(Jリーグ)
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「アビスパ福岡」の記事における「1996年 - 1998年(Jリーグ)」の解説
監督 森孝慈 佐野友昭 西ヶ谷隆之 岩井厚裕 森秀昭 石丸清隆 フェルナンド 久永辰徳 藤本主税 栄井健太郎 山下芳輝 上野優作 1998年 J 2nd 第04節 清水戦(年間総合順位最下位) 監督 パチャメ 塚本秀樹 森秀昭 バスケス 古邊芳昇 梅山修 中田一三 永井篤志 中払大介 カラセード ロッシ 上野優作 1997年 J 1st 第02節 磐田戦 監督 清水秀彦 佐野友昭 古邊考功 マジョール 岩井厚裕 都並敏史 篠田善之 中田一三 トログリオ 永井篤志 マラドーナ 上野優作 1996年 J 第02節 浦和戦(Jリーグホームゲーム初戦) 1996年、横浜M元監督の清水秀彦が監督に就任。マラドーナ、トログリオ、マジョールの3外国籍選手らが残留。元日本代表の都並敏史、広島から森秀昭などベテラン選手、中払・藤本・久永・石丸らも入団したが、順位は15位。1997年は17位、1998年は18位と2年連続シーズン最下位。1998年はJ1参入決定戦に参加したが、1回戦で川崎、第3参入クラブ決定戦で札幌を破り、J1残留を果たした。なお、1998年に千代反田充(東福岡高等学校3年)を強化指定選手第1号(現在の特別指定選手)として受け入れた。
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1996年 - 1998年
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「ガンバ大阪」の記事における「1996年 - 1998年」の解説
1996年、クラブ名を「ガンバ大阪」、法人名を「(株)ガンバ大阪」にそれぞれ改称。前アシスタントコーチのヨジップ・クゼが監督に就任。初の1シーズン制で行われ、リーグ開幕から15連敗していたV川崎に第9節に勝利するなど、前半戦は8勝7敗。しかし後半戦で失速し、最終的な年間成績は11勝19敗で16チーム中12位。年間成績は初年度から参加した10チーム中唯一4年連続の負け越しとなった。天皇杯は3年連続でベスト4に進出した一方で、ナビスコ杯では予選で敗退した。 チームスローガン:GAMBA REVOLUTION 1997年、クゼ体制2年目。礒貝が浦和、本並がV川崎に移籍。一方でカメルーン代表のパトリック・エムボマが加入し、新井場徹がユースから昇格した。また、ユースから飛び級でトップチームに昇格した稲本潤一が当時のJリーグ最年少出場記録となる17歳171日でJリーグ公式戦に初出場した。1stステージを8勝8敗(17チーム中8位)と初めて勝敗を五分に持ち込むと、2ndステージは当時のJリーグ記録となる9連勝を飾り、首位争いに加わり、2位の成績を残した。また、年間成績も初めて勝ち越し4位となった。なお、エムボマは25得点を挙げて、クラブ初のJリーグ得点王とベストイレブンを獲得。シーズン終了後、クゼが監督が母国クロアチア代表のスタッフ就任により退団、天皇杯はアシスタントコーチのフリードリッヒ・コンシリアが率い、4年連続でベスト4に入った。 チームスローガン:Run Together ともに勝利を! 1998年、フレデリック・アントネッティの監督就任が決まっていたが、ヨーロッパのシーズンが終了してからの来日という形になり、それまではコンシリアが監督を務めた。また、橋本英郎がユースから昇格し、姫路市立琴丘高等学校の播戸竜二を練習生として獲得した(数か月後にプロ契約)。1stステージは14位(7勝10敗)。7月にエムボマがイタリア・セリエAのカリアリに移籍した。2ndステージは16位(5勝12敗)となり、年間成績は15位。また、ナビスコ杯は予選敗退、天皇杯は3回戦で敗退した。
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1996年-1998年
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「パンアメリカン航空」の記事における「1996年-1998年」の解説
パンナムの商標を買い取った元アイスランド大使のチャールズ・コブが、1996年に元パンアメリカン航空のエアバスA300やボーイング727などを使い「パンアメリカン航空(2代)」の運航を開始 (Pan American Airways (1996–1998)) 。名称はもちろん機材の塗装やロゴまで当時のまま使用し再生が期待された。1997年にはカーニバル航空 (Carnival Air Lines) を買収し傘下に置くが、1998年2月に両社とも破綻した。
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