1990年ポルトガルグランプリとは? わかりやすく解説

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1990年ポルトガルグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/03 19:55 UTC 版)

 1990年ポルトガルグランプリ
レース詳細
日程 1990年シーズン第13戦
決勝開催日 9月23日
開催地 エストリル・サーキット
ポルトガル エストリル
コース長 4.350km
レース距離 61周(265.350km)
決勝日天候 晴れ(ドライ)
ポールポジション
ドライバー
タイム 1'13.557
ファステストラップ
ドライバー リカルド・パトレーゼ
タイム 1'18.306(Lap 56)
決勝順位
優勝
2位
3位

1990年ポルトガルグランプリ: 1990 Grande Premio de Portugal)は、1990年F1世界選手権の第13戦として、1990年9月23日にエストリル・サーキットで決勝レースが開催された。

概要

シーズンも残り4戦となり、チャンピオン争いが佳境を迎える中、来期に向けて新契約がいくつか発表された。

ナイジェル・マンセルイギリスGP後に引退表明をして以来、関心を集めてきたフェラーリの次期ドライバーは、ティレルジャン・アレジに決まった。フェラーリは極秘にベネトンアレッサンドロ・ナニーニと交渉していたが、ナニーニ側がオファーを断り、ベネトン残留を表明。そこでウィリアムズから仮契約を買い取る形で、アレジのフェラーリ入りが決定した。ティレルはアレジの後釜としてブラバムステファノ・モデナと契約した。しばらくして、ウィリアムズの空いたシートには、引退を撤回したマンセルが乗ることが決まる。そのマンセルが今回のポルトガルGPの「主役」となる。

リジェは来シーズンはランボルギーニエンジンにスイッチし、1992年以降3年間はルノーエンジンを使用するという契約を発表した。

予選

ライフは自製W型12気筒エンジンを諦め、レイトンハウスから購入したジャッドV8エンジンを搭載したが、予備予選をまともに走ることもできず、今回も決勝進出はならなかった。

中嶋悟は風邪で扁桃腺を腫らし、体調不良のため予選2回目の出走をキャンセル。20位で予選通過したが、決勝日朝のウォームアップ走行でクラッシュし、午後の決勝出走を見合わせた。

ナイジェル・マンセルイギリスGP以来今期3回目のポールポジションを獲得。2位はアラン・プロストで、フェラーリの2台が最前列を獲得した(1988年イギリスGP以来2年ぶり)。この2台で優勝争いをする場合、チャンピオン争いをしているプロストにマンセルが譲るのか注目された。

予備予選結果

順位 No ドライバー コンストラクター タイム
1 14 オリビエ・グルイヤール オゼッラフォード 1'19.384
2 18 ヤニック・ダルマス AGSフォード 1'19.885 +0.501
3 31 ベルトラン・ガショー コローニフォード 1'20.000 +0.616
4 17 ガブリエル・タルキーニ AGSフォード 1'20.942 +1.558
DNPQ 33 ロベルト・モレノ ユーロブルンジャッド 1'21.188 +1.804
DNPQ 34 クラウディオ・ランジェス ユーロブルンジャッド 1'23.447 +4.063
DNPQ 39 ブルーノ・ジャコメリ ライフジャッド

予選結果

順位 No ドライバー コンストラクター タイム
1 2 ナイジェル・マンセル フェラーリ 1'13.557
2 1 アラン・プロスト フェラーリ 1'13.595 +0.038
3 27 アイルトン・セナ マクラーレンホンダ 1'13.601 +0.044
4 28 ゲルハルト・ベルガー マクラーレンホンダ 1'14.292 +0.735
5 6 リカルド・パトレーゼ ウィリアムズルノー 1'14.723 +1.166
6 20 ネルソン・ピケ ベネトンフォード 1'14.728 +1.171
7 5 ティエリー・ブーツェン ウィリアムズルノー 1'14.934 +1.377
8 4 ジャン・アレジ ティレルフォード 1'15.112 +1.555
9 19 アレッサンドロ・ナニーニ ベネトンフォード 1'15.411 +1.854
10 29 エリック・ベルナール ローラランボルギーニ 1'15.673 +2.116
11 30 鈴木亜久里 ローラランボルギーニ 1'16.012 +2.455
12 16 イヴァン・カペリ レイトンハウスジャッド 1'16.284 +2.727
13 21 エマニュエル・ピロ ダラーラフォード 1'16.290 +2.733
14 15 マウリシオ・グージェルミン レイトンハウスジャッド 1'16.296 +2.739
15 12 マーティン・ドネリー ロータスランボルギーニ 1'16.762 +3.205
16 23 ピエルルイジ・マルティニ ミナルディフォード 1'16.795 +3.238
17 10 アレックス・カフィ アロウズフォード 1'16'946 +3.389
18 22 アンドレア・デ・チェザリス ダラーラフォード 1'17.066 +3.509
19 9 ミケーレ・アルボレート アロウズフォード 1'17.081 +3.524
20 3 中嶋悟 ティレルフォード 1'17.097 +3.540
21 26 フィリップ・アリオー リジェフォード 1'17.120 +3.563
22 11 デレック・ワーウィック ロータスランボルギーニ 1'17.259 +3.702
23 25 ニコラ・ラリーニ リジェフォード 1'17.269 +3.712
24 8 ステファノ・モデナ ブラバムジャッド 1'17.341 +3.784
25 18 ヤニック・ダルマス AGSフォード 1'17.621 +4.064
26 7 デビッド・ブラバム ブラバムジャッド 1'17.715 +4.158
DNQ 14 オリビエ・グルイヤール オゼッラフォード 1'17.775 +4.218
DNQ 24 パオロ・バリッラ ミナルディフォード 1'18.280 +4.723
DNQ 17 ガブリエル・タルキーニ AGSフォード 1'18.815 +5.258
DNQ 31 ベルトラン・ガショー コローニフォード 1'20.516 +6.959
出典[1]

決勝

グリーンシグナルが灯った瞬間、ポールシッターのマンセルのマシンは右斜め方向へ動き、2番手スタートのプロストの進路を遮った。(本人の釈明どおり)ホイールスピンしてコントロールを失ったのか、はたまた、意図的にブロックしたのかは定かでないが、結果的にがら空きになったアウト側からセナとベルガーのマクラーレン勢が前に出て、フェラーリの最前列独占は崩れた。マンセルは3位、プロストはピケにも抜かれて5位に後退した。プロストはレース後、このスタートでのマンセルの動きに不満を述べるが、その矛先はマンセルよりも、その行動をコントロールできなかったチェーザレ・フィオリオ監督に向けられ、翌年に「フィオリオとの関係に亀裂が入ったのはポルトガルでのスタートでのマンセルを制御できなかったことだ。」と述べている。

こうして始まったレース序盤はセナ、ベルガー、マンセルの3台がトップグループを形成し、4位のピケはプロストから圧力を受ける。13周目、プロストが3コーナーでピケをかわし、トップグループとの5秒のギャップを縮めていく。26周目、プロストが再び3コーナーでマンセルをかわし、3位に浮上した時点で、各車タイヤ交換のタイミングに差しかかった。上位は28周目マンセル、29周目セナ、30周目プロスト、31周目ベルガーの順にピットインし、一連の作業が終わると、セナ、マンセル、ベルガー、プロストという並びに入れ替わった。

予選で示されたフェラーリの好調は、決勝レース終盤も健在だった。マンセルはセナの背後に迫り、50周目のホームストレートでオーバーテイクを仕掛けた。前年のポルトガルGP黒旗失格となったマンセルがセナを抜こうとして接触した因縁のシーンを思い出させたが、今回のセナは無理をせずマンセルに先頭を譲った。55周目、マンセルは周回遅れのアリオーと絡んで弾き飛ばしたが、ダメージもなくリードを広げていった。スタートとタイヤ交換のハンディを挽回してきたプロストは、59周目にベルガーをかわして3位に上がり、セナをテール・トゥ・ノーズに捉えた。

60周目、8コーナーで鈴木とカフィが絡み、カフィのマシンはガードレールに激突。脚を負傷したカフィがマシンから脱出できず、オフィシャルは救助のため62周目に赤旗レース中断を決定した。この時点で規定周回数71周のうち75%をクリアしていたため、再スタートは行わず、61周終了時点の順位でレース成立となった。

マンセルは浮き沈みの激しいレースをポール・トゥ・ウィンで制し、13戦目で今期初勝利を挙げた。セナ・プロストの直接対決は赤旗で水を差された格好になり、セナはプロストとのポイント差を18点に広げ、チャンピオン獲得にリーチをかけた。

決勝結果

順位 No ドライバー コンストラクター 周回 タイム/リタイア グリッド ポイント
1 2 ナイジェル・マンセル フェラーリ 61 1:22'11.014 1 9
2 27 アイルトン・セナ マクラーレンホンダ 61 +2.808 3 6
3 1 アラン・プロスト フェラーリ 61 +4.189 2 4
4 28 ゲルハルト・ベルガー マクラーレンホンダ 61 +5.896 4 3
5 20 ネルソン・ピケ ベネトンフォード 61 +57.418 6 2
6 19 アレッサンドロ・ナニーニ ベネトンフォード 61 +58.249 9 1
7 6 リカルド・パトレーゼ ウィリアムズルノー 60 +1 Lap 5
8 4 ジャン・アレジ ティレルフォード 60 +1 Lap 8
9 9 ミケーレ・アルボレート アロウズフォード 60 +1 Lap 19
10 25 ニコラ・ラリーニ リジェフォード 59 +2 Laps 22
11 23 ピエルルイジ・マルティニ ミナルディフォード 59 +2 Laps 16
12 15 マウリシオ・グージェルミン レイトンハウスジャッド 59 +2 Laps 14
13 10 アレックス・カフィ アロウズフォード 58 接触 17
14 30 鈴木亜久里 ローラランボルギーニ 58 接触 11
15 21 エマニュエル・ピロ ダラーラフォード 58 +3 Laps 13
Ret 26 フィリップ・アリオー リジェフォード 52 アクシデント 20
Ret 7 デビッド・ブラバム ブラバムジャッド 52 ギアボックス 25
Ret 16 イヴァン・カペリ レイトンハウスジャッド 51 エンジン 12
Ret 5 ティエリー・ブーツェン ウィリアムズルノー 30 エンジン 7
Ret 29 エリック・ベルナール ローラランボルギーニ 24 ギアボックス 10
Ret 8 ステファノ・モデナ ブラバムジャッド 21 ギアボックス 23
Ret 12 マーティン・ドネリー ロータスランボルギーニ 14 オルタネーター 15
Ret 11 デレック・ワーウィック ロータスランボルギーニ 5 スロットル 21
Ret 18 ヤニック・ダルマス AGSフォード 3 ハーフシャフト 24
Ret 22 アンドレア・デ・チェザリス ダラーラフォード 0 スピン 18
DNS 3 中嶋悟 ティレルフォード 体調不良
出典[2]

レース後の選手権順位

  • 注記:ランキング上位5位まで記載。

脚注

  1. ^ Portuguese Grand Prix - OVERALL QUALIFYING”. Formula1.com. 2020-0-閲覧。
  2. ^ Portuguese Grand Prix - RACE RESULT”. Formula1.com. 2020年5月1日閲覧。
  3. ^ a b Portugal 1990 - Championship STATS F1”. www.statsf1.com. 2020年5月1日閲覧。
前戦
1990年イタリアグランプリ
FIA F1世界選手権
1990年シーズン
次戦
1990年スペイングランプリ
前回開催
1989年ポルトガルグランプリ
ポルトガルグランプリ 次回開催
1991年ポルトガルグランプリ

1990年ポルトガルグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 07:44 UTC 版)

ナイジェル・マンセル」の記事における「1990年ポルトガルグランプリ」の解説

フェラーリ勢が予選1列目を獲得しポールポジションマンセル僚友プロストチャンピオン争いアシスト期待された。しかし、スタートマンセル斜行してプロスト進路塞ぎ、その隙にマクラーレン勢の先行を許す。その後マンセル首位奪い返し結果的にポールトゥーウィンこの年唯一の勝利を上げるが、プロストチーム管理能力への不満をマスコミ漏らしたマンセル自身は「ホイールスピン激しく横滑りしてしまった」と述べ故意幅寄せ否定した

※この「1990年ポルトガルグランプリ」の解説は、「ナイジェル・マンセル」の解説の一部です。
「1990年ポルトガルグランプリ」を含む「ナイジェル・マンセル」の記事については、「ナイジェル・マンセル」の概要を参照ください。

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