1971-1973: サーティース
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「サーティース・TS9」の記事における「1971-1973: サーティース」の解説
TS9は1971年南アフリカグランプリでデビューした。チームオーナーでもあるジョン・サーティース用に1台が準備されたが、ギアボックストラブルのためリタイアに終わっている。第2戦スペイングランプリでは2台目のシャシーがロルフ・シュトメレンにも提供されたが、シュトメレンは燃料圧トラブルでリタイアした。サーティースは11位となった。第3戦のモナコではシュトメレンが6位、サーティースが7位となっている。オランダグランプリではサーティースが5位に入ったものの、シュトメレンはスピンの後マーシャルの手を借りて押しがけしたことで失格となっている。フランスグランプリではサーティースが8位、シュトメレンは11位となった。第6戦イギリスグランプリでは2人に加えてデレック・ベルが起用され、ベルはリタイアしたがシュトメレンが5位、サーティースが6位となった。ドイツグランプリではサーティースが7位、シュトメレンが10位となった。オーストリアではサーティースがリタイアし、シュトメレンは7位となった。第9戦イタリアグランプリではマイク・ヘイルウッドがサードドライバーとして起用され、4位となった。シュトメレンはスタート直後のアクシデントでリタイア、サーティースもエンジントラブルでリタイアした。カナダグランプリではサーティースが11位、シュトメレンはオーバーヒートでリタイアしている。最終戦ではシュトメレンに代えてサム・ポージーが起用され、ヘイルウッドも再び起用された。ヘイルウッドは15位、サーティースは17位、ポージーはピストントラブルでリタイアした。 1972年に入るとチームはTS9をTS9Bにアップデートしたが、ドライバーのラインナップは変更された。ジョン・サーティースはチームの運営に専念するためドライバーを辞め、オーストラリア人ドライバーのティム・シェンケンとイタリア人ドライバーのアンドレア・デ・アダミッチを起用した。開幕戦のアルゼンチングランプリではシェンケンが5位、アダミッチは燃料システムのトラブルでリタイアしている。第2戦南アフリカグランプリからはマイク・ヘイルウッドも加わった。アダミッチは周回数が10周足らず非完走扱いとなり、ヘイルウッドはサスペンションを破損しリタイア、シェンケンもエンジントラブルでリタイアした。スペイングランプリではアダミッチが4位、シェンケンが8位、ヘイルウッドは電気系トラブルでリタイアした。モナコではアダミッチが7位となったものの、ヘイルウッドとシェンケンは雨の中の事故でリタイアした。ベルギーグランプリではヘイルウッドが4位に入ったが、シェンケンはオーバーヒート、アダミッチもエンジントラブルでリタイアした。フランスグランプリではヘイルウッドが6位、アダミッチが14位、シェンケンが17位となった。イギリスグランプリでは3人揃ってリタイアとなった。シェンケンはサスペンション破損、ヘイルウッドはギアボックストラブル、アダミッチはアクシデントであった。ドイツグランプリではアダミッチが13位、シェンケンは14位、ヘイルウッドはサスペンショントラブルでリタイアした。オーストリアグランプリではヘイルウッドが4位、シェンケンが11位、アダミッチが14位となり、イタリアグランプリではヘイルウッドが2位に入り、アダミッチはブレーキトラブル、シェンケンはスピンオフでリタイアとなった。カナダグランプリではサーティースがヘイルウッドに代わってTS14で出走、TS9をドライブしたシェンケンとアダミッチはシェンケンが7位、アダミッチはギアボックストラブルでリタイアした。最終戦アメリカグランプリではシェンケンがTS14をドライブ、復帰したヘイルウッドはアクシデントの後17位となり、アダミッチはアクシデントでリタイアした。 TS9Bは1973年、ブラジルと南アフリカの2戦で出走した。ブラジルではブラジル人ドライバーのルイス・ブエノがドライブし12位となった。南アフリカではアダミッチがドライブし、TS9B最後のレースで8位となった
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