11〜15世紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 16:03 UTC 版)
11世紀 セルジューク朝 :ニーシャプール(1037–1043年) → レイ(1043–1051年) → エスファハーン(1051–1118年) → ハマダーン・メルブ両都(1118–1153年) → ハマダーン(1153–1194年) 中国・金王朝 :会寧州(のち、会寧府、上京会寧府、会寧府、上京会寧府と改名が繰り返される。現在の黒竜江省内。1122–1153年4月21日) → 中都(中国語版)(中都大興府、燕京。現在の北京内。1153年4月21日-1214年6月27日) → 南京開封府(開封。1214年6月27日–1233年) → 臨時首都・蔡州(現在の汝南県内。1233年〈開封陥落後〉–1234年) ハールィチ・ヴォルィーニ大公国 :ヴォロディームィル(1199-1238年) → ハールィチ(1238-1272年) → リヴィウ(1272-1349年) ハンガリー王国 :ペシュト(? - 1361年) → ブダ(1361-1541年) → ポジョニ(現・ブラチスラヴァ。1541–1784年) → ブダ(1784-1873年) → ブダペシュト(1873年- ) → 《未編集》 1541年から1784年までは、バルカン半島に侵入してきたオスマン帝国の圧力から逃れた亡命政権がポジョニ(現在のスロヴァキアの首都ブラチスラヴァ)に都を置いた。 ムラービト朝 :アグマ(英語版)(1040–1062年) → マラケシュ(1062–1147年) 12世紀 ムワッヒド朝 :ティンメル(英語版)(1130-1147年) → マラケシュ(1147–1269年)) ポルトガル王国 :コインブラ(1139-1255年) → リスボン(1255年- 1807年11月) → リオデジャネイロ(1808年3月〈cf. 〉-1821年) → リスボン(1821年- 1910年10月5日〈cf. 〉) 1808年 :ジャン=アンドシュ・ジュノー率いるフランス革命軍のポルトガル侵攻(ナポレオン戦争の局地戦)を受けて、この年、ポルトガル王国宮廷がリスボンから植民地ブラジルへ脱出し、翌年になってリオデジャネイロへの遷都を宣言する。 1821年 :ポルトガル王国(ポルトガル・ブラジル及びアルガルヴェ連合王国)宮廷がリオデジャネイロからリスボンに帰還し、還都を果たす。ただし、リオデジャネイロへの宮廷の移転を遷都とは見なさず、首都はあくまでリスボンにあったと捉える見解もある。 エチオピア帝国 :【ザグウェ朝首都ラリベラ(1137-1270年)】 → ラリベラ?(1270-1632年) → ゴンダール(1632-1769年) → アディスアベバ(1886年- 1975年3月12日) 13世紀 オスマン帝国 :【ソウト〈1231-1299年〉】 → イェニシェヒル(1299-1326年) → プロウサ(現・ブルサ。1326-1365年) → エディルネ(1365-1453年) → イスタンブール(1453年- 1922年11月17日) リトアニア大公国 :ヴォルタ(13世紀) → ケルナヴェ(1279年初出- 1321年) → セニエイェ・トラカイ(英語版)(1321-1323年) → ヴィリニュス(1323-1569年) 14世紀 ドイツ騎士団国 :マリーエンブルク(現・マルボルク。1308–1454年) → ケーニヒスベルク(1454–1525年) 中国・明王朝 :応天府(南京。1368年正月- 1421年) → 北京(旧・大都。当初の名は「北平府」で、1403年に「北京」へ改称。1421年- 1644年2月12日) 15世紀 サヴォイア公国 :シャンベリ(1416-1562年) → トリノ(1562-1714年) → 【サルデーニャ王国が継承】 ブハラ・ハン国(シャイバーニー朝、ジャーン朝、マンギト朝〈en〉) :サマルカンド(1428-1557年) → ブハラ(1557-1599年) シビル・ハン国 :チムギ=トゥラ(現・チュメニ。1490-1493年) → シビル(現・カシリク。1493-1598年) スペイン帝国 :トレド(1492-1561年) → マドリード(1561-1601年) → バリャドリード(1601-1606年) → マドリード(1606-1898年)
※この「11〜15世紀」の解説は、「遷都」の解説の一部です。
「11〜15世紀」を含む「遷都」の記事については、「遷都」の概要を参照ください。
- 11〜15世紀のページへのリンク