1イニング7与四球
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 01:56 UTC 版)
田村は5月まで二軍でプレーしていたが、一軍監督であった浜崎真二が観戦する川崎球場での試合で登板を延期させられたことがあり、癇癪を起こしてブルペンで無茶な投げ込みを行い、肩に違和感が残るようになっていた。この痛みが6月の一軍での登板で後を引くことになる。 なお、6月に入ってから田村は一軍昇格を聞かされ、「今すぐ遠征先に行け」と指示されるも、このとき田村は誤って自分の背番号41ではなくチームメイトの村田博秀の14のユニホームを持っていってしまい、間違ったユニホームを着て、6月8日の対南海ホークス戦で初登板に望む。この試合では7回裏に三番手として登板し、無安打1四球無失点に抑えた。 2試合目の出場となった、6月12日の対西鉄ライオンズ線では8回表に三番手で登板。しかし、先頭の6番河野昭修にヒットを打たれ、7番日比野武に1つ目の四球を与える。8番仰木彬をショートゴロ、9番高倉照幸をショートフライに打ち取るが、この後からストライクが入らなくなってしまう。1番塚本悦郎、2番豊田泰光、3番中西太に3連続四球を与え押し出し1点。4番大下弘の適時打を挟んで、5番関口清治、6番河野昭修、代打に送られた7番松井清にも再び3連続四球を与えた。 一軍昇格後間もない田村には気安く話せる仲間もおらず、ベテラン主体の野手陣や観客は汗だくで投球する田村に対し激励などはなかった。あまつさえキャッチャーは外国人のサル・レッカでコミュニケーションも十分取れず、孤立無援の状況だった。この状況下で、三塁ランナーであった対戦相手西鉄の大下弘がただ一人「田村、がんばれ!」と激励してくれたという。
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