関口清治
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関口 清治(せきぐち せいじ、本名:きよはる〈名の読み〉、1925年10月9日 - 2007年6月9日)は、台湾台北州台北市[1]出身のプロ野球選手(外野手)・プロ野球コーチ・監督、解説者。
- ^ a b c d e プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、304ページ
- ^ a b 『巨人軍の男たち』118頁
- ^ a b 文藝春秋社刊赤瀬川隼著『獅子たちの曳光―西鉄ライオンズ銘々伝』105-114ページ
- ^ 因みにその時の打席を迎えるまでこの年、関口の日本シリーズ打撃成績は15打数1安打と絶不調であり、関口が打席に立つと平和台球場の観客席から嘆息が大いに流れたという。
- ^ 9回裏の攻撃終了後、三原監督は起死回生の同点タイムリーを放った関口に歩み寄ると、「よくやってくれた!!」と賞賛を称えて関口と強く握手を交わしたという。
- ^ 『九州ライオンズ激闘史―1950ー1978 (B・B MOOK 1123)』ベースボール・マガジン社、2014年、86頁。
- ^ 【セ・パ誕生70年記念特別企画】よみがえる1980年代のプロ野球 EXTRA(2) [パ・リーグ編] (週刊ベースボール別冊初冬号) 、80頁、ベースボール・マガジン社、2020年
- ^ 日刊スポーツ社刊「サヨナラ近鉄バファローズ」P94
- ^ “内海が背負う「27」の不思議な縁 炭谷から受け継ぎ、巨人からの移籍組で4人目”. パ・リーグ インサイト. (2018年12月21日) 2020年3月18日閲覧。
- ^ 阪急への移籍後も継続したため、引退後も引き続き着用していた戸倉勝城監督が30に変更している。
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