鹿谷寺跡とは? わかりやすく解説

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鹿谷寺跡

名称: 鹿谷寺跡
ふりがな ろくたんじあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 大阪府
市区町村 南河内郡太子町
管理団体
指定年月日 1948.01.14(昭和23.01.14)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 二上山雌岳から西方派出した尾根先端附近南北に横切つて開鑿平し小平地にある。域内北部には、石造多重塔造成され、其の東方石窟内には線彫の石仏佛が営まれ主要部をなし、西南部、西側岩壁に沿ふ小岩塊にも東面して、仏立像一躯が浮彫にしてあるが、此は剥落甚だしくわずかに脚部の辺が認められるだけである。更に南方崖下小平地には断崖臨んで総高約5尺6寸の方尖碑状な呈する石造小塔が地山から造り出されている。多重塔南々西面し地山の石を彫残して造り出されたものであって頭部破損し現存部は高さ17尺3寸、13重を数える。初重の軸部は南面にて高さ3尺1寸5分、上部の幅4尺6寸、下部は5尺2寸、内轉びを示し其の中央部、屋接して、高さ1尺2寸、幅6寸、深1尺4寸の孔を穿って居る。軸部は2重目から高さ、著るしく低減し各重の屋は軒出極めて浅く細部は必ずしも均整とは称し難いが全体として安定感もあり外観極めて雄偉である。石窟西南西面し東側岩壁掘鑿したものであって、問口約9尺6寸、側壁浅く底部低く浅い造り天井部は3角形状に約6尺挺出して居る。奥壁は中央部で5尺6寸の高さを有し其の全面に高さ3尺8寸、大仏座に坐し頭光を負うた如来像3躯を線彫にして居る。仏名明かにしないが像容は豊であり優れている
此の一帶香石の産地として著名であるが此処河内名所図会鹿谷寺廃跡と伝へられた処で石切場の跡と認められる
岩屋と共に上代に於ける仏教関係の類稀な遺跡として貴重である。

鹿谷寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 00:59 UTC 版)

二上山 (奈良県・大阪府)」の記事における「鹿谷寺跡」の解説

鹿谷寺跡(ろくたんじあと)は、大阪府南河内郡太子町山田にある石窟寺院跡。二上山雌岳から南西方向に伸びる丘陵先端部に所在する寺地凝灰岩地山削って造成された平地位置する寺域北部域に地山彫り残した十三重塔が建つ。十三重塔東側岩壁には石窟造られ石窟壁面如来坐像3体が線刻される。西側岩壁にも仏立像1体浮彫されるが、現在では腹部下方のみを残す。また南方崖面下の小平地にも地山彫り残した方尖碑状の塔が遺存しており、須恵器土師器和同開珎出土したことから、僧房所在したと推測される奈良時代寺院跡と推定する説、平安時代寺院跡と推定する説がある。 寺域1948年昭和23年)に国の史跡指定されている。 十三重塔手前舎利孔。 石窟 石窟線刻 南方の小塔

※この「鹿谷寺跡」の解説は、「二上山 (奈良県・大阪府)」の解説の一部です。
「鹿谷寺跡」を含む「二上山 (奈良県・大阪府)」の記事については、「二上山 (奈良県・大阪府)」の概要を参照ください。

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